2ペテロ 3:11-18

「このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。」(3:11)

クリスマスにイエス・キリストが誕生したように、聖書は明確に、キリストが再び来られることが約束されています。

しかし、聖書の時代からその約束を待つことに疑いを持つ人たちがいました。

その日がまだ来ていないのは、一人でも多くの人が悔い改めに進むことを望んでいるからだと言います。

主の忍耐だと。

しかし主の日は、盗人のように、思いがけない時にやって来ます。その時、天は恐ろしいとどろきと共に消えうせ、天体は焼けて崩れ落ち、地と地上のすべてのものは跡形もなく焼き滅ぼされてしまいます。」(10節LB)

待ち望んでいる私たちに求められていることは、主を待ち望むことと、最高の人生を生きることです。

神の約束を信じ、聖なる敬虔な生き方を心がけることです。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

1テサロニケ 4:13-18

「それから、皆さん。クリスチャンが死んだらどうなるか、よく知っておいてほしいのです。

悲しみのあまり取り乱して、何の希望もない人たちと同じようにならないためです。

私たちは、イエスが死んで復活されたことを確かなことと信じています。

ですから、イエスが帰って来られる時、すでに死んで世を去ったすべてのクリスチャンを、神が共に連れて来てくださると信じてよいのです。

私は主から直接聞いたとおりを伝えるのですが、主が再び来られる時、私たちがまだ生きていたとしても、すでに墓の中にいる人たちをさしおいて主にお会いすることは、断じてありません。

主は、大号令と、天使の長の声と、神の召集ラッパの響きと共に天から下って来られます。

その時、まず最初に復活して主にお会いできるのは、すでにこの世を去っているクリスチャンです。

それから、なお生きて地上に残っている私たちが、いっしょに雲に包まれて引き上げられ、空中で主とお会いするのです。

そして、いつまでも主と共に過ごすことになります。

ですから、このことをわきまえて、互いに慰め合い、励まし合いなさい。」(LB)

携挙、空中再臨などと呼ばれている箇所です。この世界の終わりに、クリスチャンを一挙に引き上げられると言います。「このことをわきまえて」一人でも多くの人に福音を伝えていく責任があります。

1テサロニケ 4:1-12

「最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。」(4:1)

私たちは日々、「神に喜ばれるためにどのように歩むべきか」を学び、そう歩むように心がけることが大切です。

今日の箇所で具体的に言及されていることは情欲におぼれないということです。

現代のポストモダンの価値観は倫理観を狂わせている感じがします。

大事なことは社会の風潮に合わせることではなく、神のみことばに土台することです。

聖書は言います。

私たちが神に召されたのは、汚れた思いや情欲のとりこになったりするためではなく、きよく清潔な生活を送るためです。もし、これらの戒めに従うことを拒むなら、人にではなく、聖霊を与えてくださった神にそむくことになるのです。」(7,8節LB)

1テサロニケ 3:1-13

「そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。」(3:13)

キリスト教会の働きはビジネスとは違います。

なぜなら、キリストの再臨、神の御前に立つ日を念頭において活動しているからです。

牧師の心配は、教会員が皆、天の御国に行けることです。

使徒パウロは

主にあって堅く立っていてくれるなら、それだけで、私たちはどんな困難にも耐えていけます。」(8節LB)

と言っていますが、それが正直な気持ちです。

神のみこころは一人も滅びることなくということですから、私たちは一人でも多くの人に福音を伝えます。

イエス様が再び来られる日が近い今、その時まで、一人でも多くの人が救われるように伝えることは、私たちの使命(ミッション)です。