ルカ 3章

「ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。」(3:3)

人が必要としているのは「罪の赦し」です。

「悔い改め」は精神的にも振る舞いにおいても方向転換をすることを意味します。

ですから、どのような生き方をしているかが「悔い改め」の証拠となります。

「悔い改め」は私たちの内側で始まり、バプテスマはそれを外側で表現します。

信仰生活は誰も見ていないところだけでなく、共同体の中で培われていくものでもあるからです。

イエス・キリストの十字架はすべての人に「罪の赦し」を与えるためでした。

人は自分の罪を「悔い改め」て、方向転換して、イエス・キリストを信じ、バプテスマを受けることを通して「罪の赦し」を受けることができます。

人は神との関係を取り扱うことなしに、正しくあることはないからです。

ルカ 2章

「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。」(2:51)

イエス様は王の王、主の主、神の御子であられるのにも関わらず、人間の両親に仕えられたと聖書は言います。

イエス様は時が来て、公生涯をはじめるまで肉の両親に仕え、私たちに模範を示されました。

聖書は言います。

子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。

これは正しいことなのです。

「あなたの父と母を敬え。」

これは約束を伴う第一の戒めです。

「そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」という約束です。」(6:1-3)

父と母が敬うのに値するから敬うようにではなく、父と母であるがゆえに敬うようにと言います。

そして、両親を敬うことは神の約束が伴うと言います。

幸いな人生を生きる約束です。

イエス様がその模範を示されたということを、私たちは忘れてはいけないと思います。

ルカ 1章

「神にとって不可能なことは何もありません。」(1:37)

神に不可能なことはありません。

ですから、神が語られたことは必ず実現すると信じきって生きるという姿勢はマリアだけでなく、私たち一人一人にも大切です。

神のみことばである聖書には、たくさんの約束が記されています。

それらの一つ一つを必ず実現するとしっかりと握り締めることは大切なことです。

もちろん、その実現を見るのには時間がかかります。

マリアもイエス様を胎に宿して出産するのには時間がかかりました。

九ヶ月以上はかかったはずです。

しかし、神の時は必ず訪れます。

私たちが想像しているほどその日は遠くはありません。

来月はクリスマス。

まさに、神が語られたことが実現した日です。

不可能が可能となった日です。

イエス様のご降誕を感謝すると同時に、聖書のみことばが真実であることを覚えたいと思います。