申命記 1:1-2:23

「主は、あなたがたの不平を言う声を聞いて怒り、誓って言われた。」(1:34)

イスラエルの民が、約束の地まで四十年かかった理由は、

敵でもなければ、迷子になったからでもありません。聖書が伝える理由は

 

不平

 

です。

「そして、天幕(テント)の中でぶつぶつ不平を言いました。」(27節LB)

厳しい状況、失望するような環境に陥る時、私たちは状況を変えることが出来なくても、どう応答するかは選ぶことができます。だから聖書は言います。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサロニケ5:16-18)

民数記 35:1-36:13

「あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。」(35:33)

殺人で流された血は土地を汚します。憎しみと復讐の連鎖はこの地を地獄と化します。しかし、神の御子イエス・キリストは、十字架にかかり、その血潮を流されることを通して、この憎しみと復讐の連鎖を断ち切りました。イエス・キリストの血潮は、土地を汚すどころか、すべてをきよめました。イエス・キリストの十字架の御業は、この地を癒やします。キリストにある神の愛と赦しによって、この地は回復します。キリストの福音を伝えることは、この地の回復に参与することでもあります。

民数記 33:1-34:29

「モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書きしるした。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。」(33:2)

33章は、「何処から旅立って何処に宿営した」という記録が3節から49節まで続きます。なぜ、神はそんなことをいちいち記録するようにモーセに命じたのでしょうか。

第一に、

この記録は私たちに神が私たちの人生の全旅程をご存知であるということを教えてくれます。

そして第二に、

この記録は、神が必ず導いてくださるということを私たちに教えてくれます。

神は私たちの人生の全旅程をご存知であり、どこに宿営するかもご存知です。そして、どこに導くかもご存知です。神は必ず私たちを約束の地に導き入れてくださいます。ですから、たとえ理解できなくても、日々、すべてをご存知な神に信頼し、ついていこうではないでしょうか。

民数記 31:25-32:42

「その分捕ったものをいくさに出て取って来た戦士たちと、全会衆との間に二分せよ。」(31:27)

旧約聖書の戦いに関する記事は難解です。ただここでは、神が戦いに出て行った戦士たちと、戦いにいかなかった人たちと、二分するように言われていることに心を留める必要があります。働く者が報酬を受けることは当然のことですが、分配する責任もあります。富の分配を意識しない資本主義は崩壊します。ダビデも、戦いに行かなかった人に分捕り物を分けないと言った意地の悪い人たちにこう言いました。

「兄弟たちよ。主が私たちに賜わった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」(1サム30:23,24)