ヨブ記 25:1-29:25

「私は息絶えるまで、自分の潔白を離さない。」(27:5)

「潔白」と訳されたことばを、英語の訳では「INTEGRITY」(正直、清廉、高潔、誠実)と訳しています。タイヤのビスが一つ外れたからと言って、すべてのビスを外す必要はありません。逆境のときに、うまくいかないときに、私たちはヨブのように宣言する必要があると思います。友人たちに責められながらも、それでも、私は死ぬまで自分の人間としての尊厳を手放さないと。自分がたとえ理解できなくても、神はすべてをご存知です。そして、私たちの神は、私たちを愛し、私たちの人生に関心を持ち、私たちに最善をなしてくださるお方です。ヨブの苦難にも終わりがあったように、私たちもやがてトンネルを抜け出すときが来ます。ですから、ヨブのように、キリストのみ顔を拝するときまで、自分の尊厳を離さないようにしましょう。

ヨブ記 22:1-24:25

「今そうでないからといって、だれが私をまやかし者だと言えよう。だれが私のことばをたわごとにしようとするのか。」(24:25)

ヨブは因果応報を絶対とするエリファズに対して反論します。「エリファズさん、あなたは因果応報がいつも絶対だと言うけれども、この世の不条理をどう説明するのですか?嘘をつかないでください。絶対じゃないじゃないですか!」ヨブ記が私たちに問うていることは、私たちの動機です。もし、ヨブが主張するように、因果応報がこの世において必ずしも絶対ではないとしたら、「それでもなお、あなたは正しく生きますか?」「自分が願っていたように扉が開かれなかったとしても、それでもなおあなたは主を信頼し、善を行い続けますか?」ということです。そもそも、イエス・キリストの十字架は不条理の極みです。しかし、神はこの不条理の極みである十字架の上でご自身を現されました。十字架は悲劇の象徴ではなく、天国の入り口です。