2歴代誌 29章

「また、彼らは玄関の戸を閉じ、ともしびの火を消し、聖所でイスラエルの神に香をたかず、全焼のいけにえをささげることをしなかったのです。」(7節)
南王国の問題の発端は、いけにえをささげることをやめてしまったことでした。

今、私たちが求められているいけにえとは、動物を捧げることではなく、礼拝を捧げることです。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

神に礼拝を捧げる姿勢は、私たちの人生の生命線です。

なぜなら、人間は神を礼拝するために造られたからです。

神を礼拝することが、人生に意味を与え、それが結果的に良いものを引き寄せます。

すべての良いものは、神から来るからです。

2歴代誌 28章

「アハズは主の宮と王およびつかさたちの家から物を取って、アッシリヤの王に贈ったが、何の助けにもならなかったのである。」(21節)

ウジヤ、ヨタムの後を継いだアハズ王は、「主の目にかなうことを行なわず」(1節)、「イスラエルの王たちの悪い例にならって、バアルの偶像を拝んだ」(2節LB)結果、シリアに敗れ、北王国に敗れます。榎本師はこう説明します。「ウジヤ、ヨタムが築き上げたユダの国はこの一人の王の不心得によって、たちまち滅亡の一途をたどってしまったのであった。王たる者の責任の重大さを思わせられる。」彼の姿勢は、彼が当時の権力者、アッシリヤ王に贈り物をおくり、助けを求めた点に見出せます。アハズ王がおくった贈り物というのは、神のために捧げられた物でした。つまり、アハズ王は、神よりもアッシリヤ王を信頼したのです。しかし、何の助けにもならないばかりか、見事に裏切られ、そのアッシリヤ帝国に攻め込まれてしまいます。