黙示録 13章

「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」(18節)

歴史を通じ「666」は誰を指しているのか、研究され続けてきました。(リストは現在も進行中。)しかし、沢村五郎という牧師がこんなことを言っています。

「患難の中にある時、しばしばそれが永遠に続くもののように感じられるものですが、悪の力は必ず666です。」

つまり、「666」とは「制限された不完全数」であり、完全ではない、必ず終わりが来るという意味だと言います。獣は完全ではない。獣にも終わりの時が来ると言うのです。私たちが日常直面する問題も、終わりがない、完全なもののように思ってしまうことがあります。自分にはどうしようもない、圧倒されるような存在、出口が見えないような問題があると。しかし、それは、「制限された不完全なもの」です。神の時は必ず来ます。

黙示録 12章

「この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。」(2節)

ここに出て来る「女」はイスラエルの国、生まれてくる「男の子」はイエス・キリストを指していると多くの学者は考えています。実際、イスラエルの民族ほど、歴史上何度も滅ぼされそうになりながら存在し続けている民族は他にはありません。
ここで注目すべきことは、「この女」は、産みの苦しみと痛みで終わったわけではなく、5節に、「女は男の子を産んだ。」とあります。つまり、産みの苦しみの先には、「出産日」がくるということです。キリスト教会は、日曜日に礼拝をもっています。その理由は、キリストが死の力を打ち破って復活されたのが日曜日であり、キリスト教会は、今生きておられるイエス・キリストを礼拝するからです。日曜日は、復活の象徴、勝利の象徴です。悲しみが喜びに、嘆きが歌に変わる日が必ず来ます。