Ⅰ列王記 10章

「実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。(7節)

10章は有名なシェバの女王の話です。シェバはアラビアの南西、現在のイエメンの辺り。アラビアの中でも肥沃な地域で、通商の面でも栄えていた地域でした。ソロモンの名声は、それほど遠くまで届きました。シェバの女王の名前が後世まで残ったのは、彼女が自分の目で確かめようとはるばる来たからです。イエス様はおっしゃられました。「南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。」(マタイ12:42)イエス様を求める者には報いてくださいます。求めましょう!

Ⅰ列王記 2章

「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。」(2節)

 ダビデの時代に、「復活」という教えはありませんでした。「死」というのは神の領域であり、人にはどうすることもできない領域でした。ですからダビデはただ、「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。」とだけ言いました。しかし今、イエス・キリストが死の力を打ち破りよみがえられましたから、私たちには栄光の保証があります。私たちがこの肉体を離れる日、私たちは神のみもとにいるのです。(Ⅱコリント5:8参照)私たちは、「子供たちよ、私はこれから主のみもとにいく。主と共にいることは本当に素晴らしい!」と言うことができます。永遠のいのち、栄光の望みがあるということは素晴らしいことです。ダビデがソロモンに語った勧めは私たちにも適用できます。「強くあれ。あなたが造られた目的に生きなさい。神があなたに語ることを行ないなさい。」(メッセージ)

8月の日曜日 August Sundays

5日 ゲスト・メッセンジャー:札場義宣伝道師

9時、10時半、18時

12日 ガラテヤ1:6-:9 「アナテマ」 小山英児牧師

9時(HC)、10時半(HC)、18時(HC) (HC)=聖餐式

19日 ガラテヤ1:10-:24 「ただイエス・キリスト」 小山英児牧師

9時、10時半、18時

26日 ゲスト・メッセンジャー:塚田献牧師

9時、10時半

18時より 英語礼拝 w/ ジョンT・ワーム宣教師

(Worship Service in English with JohnT Worm at 6pm. 同時通訳あり)

Ⅰ列王記 1章

「一方、ハギテの子アドニヤは、『私が王になろう。』と言って、野心をいだき、戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れた。」(5節)

 アドニヤは、老いた父、ダビデ王に代わって、自分こそ王位につくべきだと考えました。確かに、彼は周りから見てもふさわしい人物のように見えました。しかし、新共同訳では、彼は「思い上がって『わたしが王になる』と言い」と訳しています。聖書は私たちが思い上がって、自分で自分を高めないように警告しています。「神様は、謙そんな者を特別、祝福してくださいますが、高慢な者には容赦なさいませんから。もしあなたがたが、神様の力強い手の下で慎み深くしているなら、ちょうどよい時に、神様は高く引き上げてくださるでしょう。」(Ⅰペテロ5:5,6LB)

 「主よ、あなたが私を必ずちょうど良い時に引き上げてくださることを信じて、日々、慎み深く歩むことができますように。」

ガラテヤ書 6章

「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」(9節)

 この世は完全でもなければ、天国でもありませんので、時には、善を行うことが馬鹿らしく感じてしまう時があると思います。周囲を見て、良いことを行う自分が損をしていると感じる時もあると思います。もちろん、私たちは見返りを求めて善を行うわけではありません。神の国の国民として、神が善であり、善を行われるがゆえに、私たちも善を行うように努めます。しかし、それだけではなく、失望せずにいれば、収穫する時が来ると言います。「あきらめないこと。やめないこと。」

神は私たちの善行をすべて記録しています。人は善行でなく、キリストの十字架によって救われます。しかし、誰も気づいていなくても、あなたが捧げたこと、助けたこと、神はご覧になっておられ、必ず報いられます。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(使徒10:4)