Ⅰサムエル 1章

「彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」(18節)

 神様にいつまで個人的な願いを祈り続けるべきか?今日の箇所を見るならば、一度祈ればいいというものでもないようです。合理的に考えれば、「一度祈ればいい、神様はご存知だから祈らなくてもいい」となるかもしれません。しかし、聖書はそのようには教えていません。祈ることそれ自体に意味があるからだと思われます。

では、いつまで祈り続ければいいのでしょうか?

ハンナがこの個人的な祈りの期間を終了した時、彼女の顔は以前のようではなかったとあります。私たちはこの確信を得るときまで祈る必要があります。神様の答えはいつも、私たちが願っていたことと同じとは限りません。しかし、祈った後の私たちの顔は、ハンナと同じように、もはや以前のようではありません。

Ⅱコリント 13章

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」(13節)

聖書の神は、三位一体なる神様です。唯一の神ですが、子なる神キリスト、父なる神、聖霊なる神の三つの位格があります。このことを知的に理解することができないために、多くの学者は否定しようと努力してきました。しかし、使徒パウロは、はっきりとそのことを意識して、このような祈りのことばを記していることは明らかです。私たちが持つ知性で把握することが出来ないからと言って、神のご性質が変わることはありません。神は神であり、三位一体なる神様なのです。コリントの教会に対して、パウロは厳しい言葉を並べてはいましたが、恵み、愛、交わりという三つを一つとしてまとめているところに、教会のあるべき姿を教えられます。

「父、子、聖霊の三位一体なる神様。あなたの恵み、愛、交わりで教会を一つにして下さい。」