使徒 22:30-23:11

「パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見てとって、最高法院の中でこう叫んだ。「兄弟たち、私はパリサイ人です。パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」」(23:6)

歴史家のヨセフスはパリサイ人に関してこんな記述をしています。

「パリサイ派は、律法諸規定のもっとも厳密な解釈者と見なされ、首位を占める学派であったが、彼らはいっさいを運命と神に帰した。」

つまり、パウロはその時代のユダヤ教でもっとも影響力があり一番大きなグループに属していました。

また、この後、七〇年のエルサレムの崩壊後に唯一残ったのもパリサイ人です。

パウロは「パリサイ人だった」と過去形にすることはありませんでした。

パウロは、パリサイ人たちが信じていた「死者の復活という望み」の成就をイエス様に見ていました。

使徒 22:17-29

「すると千人隊長は言った。「私は多額の金でこの市民権を手に入れたのだ。」パウロは言った。「私は生まれながらの市民です。」」(22:28)

パウロの時代のローマ帝国は、共和制が終わり、帝政へ移行した時代でした。

共和制後期は、戦争捕虜として征服地からの奴隷の数が急増し、当時のローマ世界の人口の三分の一は奴隷だったと言われています。

ローマの市民権を持っていたローマ人は全住民の一〇パーセント弱だったと言われています。

どうやってパウロの家族がそのローマの市民権を手に入れたかは聖書に出てきません。

パウロの祖父や曽祖父がユりウス・カエサルやマルクス・アントニウスなどがタルソを訪れた時に、ローマ兵にテントを用意し、その報酬として与えられたと考えられています。

パウロが生まれながらにローマ帝国の市民ということは、パウロの父親がローマ帝国の市民であったということです。

神の摂理がそこにあったことが分かります。

使徒 22:1-16

「私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』」(22:8)

パウロは、心からの願いでもあった、エルサレムで同胞に対して自分がどうしてキリスト者になったかを証しする機会が与えられました。

「兄弟ならびに父である皆さん。今から申し上げる私の弁明を聞いてください。」(1節)

と、パウロは敬意をもって話しはじめます。

パウロは自分がキリスト者になった理由は、ダマスコ途上でイエス様にあったからだと説明します。

天からのまばゆい光」(6節)

は、エゼキエル書1章でエゼキエルが見た

主の栄光の姿」(28節)

を彷彿させます。

証とは、このようにキリストに出会う前と出会った後について語るものです。

誰もが、パウロのようにイエス様の声を直接聞くわけではありません。

しかし、聖書を通して、誰もが神の言葉を聴くことができます。

使徒 21:27-40

「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。」(21:31)

パウロがエペソで聖霊様に示されて、エルサレムに行くことにした時、このように言いました。

「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」(19:21)

パウロがエルサレムからローマに行くことは神のご計画でした。

その道のりがどんなに過酷であったとしても、パウロがローマに行くことは神のみこころでした。

どんなにエルサレムでパウロが殺されそうになっても、神の守りがそこにありました。

千人隊長に報告が届いたことも、パウロを捕らえるために駆けつけたことも、神の摂理の中にありました。

神は私たち一人一人にご計画を持っておられます。

神が与えられた使命を全うするまで、人は神の不思議な守りの中で生き続けます。

神のみこころは必ず成し遂げられます。

使徒 21:15-26

「私たちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。」(21:17)

使徒パウロはエルサレム訪問のためにローマの教会に祈りを要請していました。

パウロたちのことを悪く言う人たちがいたからです。(21節)

パウロたちはエルサレム教会に献金を持っていく予定でしたが、受け入れてもらえるか不安だったようです。

パウロはローマの教会にこのように書いています。

どうか、私の祈りの友になってください。主イエス・キリストのゆえに、また、聖霊によってあなたがたが私を愛する愛のゆえに、私の働きのため、共に精一杯祈ってください。エルサレムにいる、クリスチャンでないユダヤ人から、私が守られるよう祈ってください。また、私の持って行くお金を、エルサレムの教会が喜んで受け取ってくれるようにも祈ってください。」(ローマ15:30-31LB)

兄弟たちは喜んで迎えてくれた。

これが教会のあるべき姿です。

今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう!

使徒 21:1-14

「彼が聞き入れようとしないので、私たちは「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐんだ。」(21:14)

ツロの兄弟姉妹たちは、

「御霊に示されて、エルサレムには行かないようにとパウロに繰り返し言った。」(4節)

とあります。アガポという預言者は言いました。

「この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。」(11節)

それで、パウロにエルサレムには行かないように懇願したと言います。

しかし、パウロは言います。

「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」(13節)

パウロは頑固のようにも見えますが、神のみこころに生きる信仰者の姿とも言えます。

聖霊は禁じるためではなく、備えのために警告したのです。

どんな試練が待っていたとしても神のみこころに従うことが信仰者の生き方です。

使徒 20:25-38

「私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。」(20:27)

教会の歴史を振り返りますと、いつも、偽教師の問題があります。

特徴の一つは、

「いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう。」(30節)

とあるように、教会の中に入りこみ、自分のほうに引き込もうとします。

既存の教会を否定し、既存の教会が機能不全に陥っても何とも思いません。

しかし、教会は、どんなに欠けがあっても、神の御子キリストが、ご自身の血をもって買い取られた神の教会です。

それなのに自分たちだけが正しいと言って、神の教会を批判し、教会を荒らし回る偽教師を、私たちは注意する必要があります。

このような偽教師たちは、イエス・キリストの十字架の福音だけでは不十分だとさえ言います。

このような問題に対処する方法は「神のご計画の全体を」教えること、聖書全体を学ぶことです。

使徒 20:13-24

「けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(20:24)

人にはそれぞれ「自分の走るべき道のり」、与えられた「任務」があります。

その第一の任務は福音を伝えることです。

しかし、主イエスがしなさいと言われた務めをやり遂げるためなら、こんな取るに足らぬ命でも、喜んで投げ出す覚悟はできています。その務めとは、神の恵みの福音を伝えることです。」(LB)

22節を直訳しますと、こうなります。

そして今、わたしは御霊に縛られて、エルサレムへ行こうとしています。

聖霊様に縛られて行く、というのは面白い表現ですが、そうでなければ、パウロでさえも前進できなかったということかもしれません。

十字架なくして冠なしと言いますが、十字架をかついだことのない人には、その素晴らしい恵みの世界を味わうことはできません。

使徒 20:1-12

「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。パウロは翌日に出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。」(20:7)

「週の初めの日」は、日曜日のことで、初代教会は日曜日に礼拝を守っていました。

「パンを裂くために集まった」というのは礼拝のことだと考えられます。

特に聖餐式が念頭にあったと思われます。

パウロのメッセージは、夜中まで続いたということかもしれません。

「ユテコ」という青年は、

窓のところに腰掛けていたが、パウロの話が長く続くので、ひどく眠気がさし、とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった。」(9節)

と言います。

彼は一度、死んでしまいますが、神は彼を生き返らせます。

人々は生き返った青年を連れて帰り、ひとかたならず慰められた。」(12節)

とあります。

私たちの信仰生活もいろいろなことが起こりますが、神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。

使徒 19:23-40

「そのころ、この道のことで、大変な騒ぎが起こった。」(19:23)

使徒の働きの時代、キリスト教は「この道」と呼ばれていました。

エペソの街でリバイバルが起こり、神の力が現され、人々はイエス・キリストを信じました。

その結果、アルテミス神殿の模型を作っていた銀細工人たちは、自分たちが仕事を失ってしまうことを恐れて、暴動を起こします。

あのパウロが、手で造った物は神ではないと言って、エペソだけでなく、アジアのほぼ全域にわたって、大勢の人々を説き伏せ、迷わせてしまいました。」(26節)

銀細工人たちの動機は、信仰心ではなく、自分たちの保身です。

そして、群衆は

「偉大なるかな、エペソ人のアルテミス」と叫び始めた。」(28節)

とありますが、それはいわゆる集団ヒステリーでした。

大多数の人たちは、何のために集まったのかさえ知らなかった。」(32節)

とあります。

群衆がいつも正しいとは限りません。