詩篇 105篇

「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」(4節)

  この個所で聖書は私たちに三つのことを求めるように言っています。

まず第一番目に、神様ご自身です。

私たちが本当に必要なのは、何かではなく、主イエス・キリストです。私たちの本当の必要に唯一答えることができるのは、イエス・キリストだけです。

第二番目は、その御力です。

神様は力ある神です。神に不可能なことは一つもありません。人にはできないことも、神にできないことはありません。私たちは、この全能の神を求める必要があります。

第三番目は、御顔です。

御顔と訳された言葉は、「臨在」とも訳される言葉です。私たちは神様の臨在を求める必要があります。「御国が来ますように」という祈りは、終末待望の祈りというだけではなく、今、この時、神の臨在がこの場所にあることを求める祈りでもあります。

詩篇 104篇

 「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。」(24節)

 この詩のテーマは、神様はこの大自然を私たちが楽しむために造られたということです。クリスチャンは、時々、「楽しむ」ことを罪に感じてしまうことがあります。しかし、食物を楽しんだり、花を楽しんだりすることは、神様が私たちに与えてくださったことです。Ⅰテモテにも、こういう箇所があります。

「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(6:17)

私たちの神は、楽しませてくださる神です。問題は、この大自然を楽しむために造られた造り主を礼拝することよりも、大自然自体を拝む時に起こります。与えられた大自然を楽しむことよりも、大自然自体を頼り始めるときに起きてくるのです。現象ではなく、造り主である神を礼拝することができますように。

詩篇 103篇

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(2節)

 今日までどんなことがあったでしょうか。ある人は小さなころの記憶が鮮明かもしれません。ある人は、かなり最近のことしかはっきり覚えていないかもしれません。私たちはつらかったことや傷つけられたこと、腹立たしい出来事を思い出しやすい傾向があると思います。そして自己憐憫に陥ったり、憎しみに縛られていってしまうことがあります。けれどもここで詩人は、神様がしてくださった「良い」ことを『何一つ忘れるな』と勧めます。詩人は

「今までにいただいた祝福を、決して忘れません。」(LB)

と言います。私たちは何よりも、イエス・キリストの十字架の御業のゆえに、私たちの過去、現在、未来の罪を赦していただいたことを忘れてはいけないと思います。11節にはこう書いてあります。

「神様を恐れ、あがめる人には、無尽蔵のあわれみをかけてくださいます。」(LB)。

詩篇 102篇

「窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。」(17節)

神様は忙しすぎて、私たちの祈りを顧みることができないお方ではありません。今日の箇所をLBではこう訳しています。

「神様は、苦闘している人の祈りを聞かれます。主は、彼らの願いが耳に入らないほど、忙しくしてはおられません。」

 理解できない状況の中にいるときほど、この真理をしっかりと握り締めて宣言する必要があるときはないと思います。分からないことのゆえに、分かっていることを犠牲にすべきではありません。神様は、私たちの叫びを聞いてくださるお方です。今日も、主の御名を呼び求めましょう。主は聞いてくださっています。そして、主は、最高のタイミングで、私たちの祈りに応えてくださいます。

「主よ、私たちに上からの信仰を与えてください。あなたを信頼して、祈り続けられるように助けてください。」

詩篇 101篇

「私は、恵みとさばきを歌いましょう。主よ。あなたに、ほめ歌を歌いましょう。」(1節)

英語の聖書では、最初の部分をこのように訳しています。

「わたしのテーマソングは、神の愛と正義です。」

神の国の国民として、この世界で生きていくときに、まさに、「神の愛と正義」が私たちの日々の歩みのテーマソングになるのだと思います。具体的には2節にこのように詩人は歌っています。

「非の打ちどころのない生活を送りたい、と心がけている私ですが、神様のお助けなしには何もできません。ことに、おこころにそった歩みをしたいとせつに願う家庭の中でこそ、お助けいただきたいのです。」(LB)

日々の生活の中で、神の助けをいただきながら、自分ができる最善を行なっていくことが、「神の愛と正義」をテーマソングにして生きていくということだと言います。

「あなたの御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように、地でも行なわれますように。」

詩篇 100篇

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」(3節)

「知れ。主こそ神。」

これほど力強い言葉はないと思います。LBは、

「主が神であるとはどんなことか、肌で感じ取りなさい」

と訳しています。英語の聖書では、

「これを知りなさい。神は神。」

私たちは、自分の命を自分で一日も伸ばすことができないのと同じように、自分にはどうすることもできない領域があることを謙虚に受け止める必要があります。人は永遠に神になることはありません。神は神です。神は私たちを造られた方です。私たちは、この神に属する者であり、神の民、神のご加護のもとにある民です。パウロは、この真理を苦しみの中で見いだしました。

「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(Ⅱコリント1:9)

主が神であるとはどんなことか、感じられますように。

詩篇 99篇

「主は、雲の柱から、彼らに語られた。彼らは、主のさとしと、彼らに賜わったおきてとを守った。」(7節)

 出エジプト記の中で、カナンの地を目指すイスラエルの民を昼は雲の柱、夜は火の柱が彼らを導いたと記されています。そして、神がモーセと語られる時、天幕の入口に雲の柱が立っていたとあります。雲の柱は神の臨在の象徴です。この天幕において、「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」のです。

今日、神は、祈りと聖書を通してわたしたちと語られます。昔のように雲の柱は出てこないかもしれませんが、イエス様の御名の中で祈るとき、どこにいても神の臨在の中に身を置くことができます。モーセと親しく語られた神は、私たちとも親しく語ってくださいます。

神との対話は、私たちに応答を求めます。

「彼らは従順に従いました。」(LB)

神のみことばに従っていくことができますように。

詩篇 98篇

「立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。立琴と歌の調べに合わせて。」(5節)

  古代の壁画や遺跡などをみると、数多くの楽器がはるか昔から使用されていたことがわかります。わたしたちは聖書に中にも様々な楽器を見ることができるのですが、その実際の音色は残念ながら聴くことができません。これは、たぶん私たちがそれぞれの時代のそれぞれの文化の馴染みのある楽器を用いて神にほめ歌を歌うようにという意味だと考えられます。詩篇は、その歌の調べ(メロディ)も分かりません。これも、その時代のその文化に馴染みのあるものに変えて欲しいという意味だと思われます。詩篇の時代の人々が馴染みのある楽器を用いて、馴染みのある調べで神様にほめ歌を歌ったように、私たちも、この時代に生きているものとして、馴染みのある調べを、馴染みのある楽器を用いながらよい音色をもって神様に賛美をささげることができますように。

詩篇 96篇

「確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。」(13節)

 確かに主イエス・キリストはこの世界に来られました。しかし、今日の詩篇の箇所は、キリストが生まれたクリスマスの日のことではなく、キリストが再びこの世界に来られる日のこと(再臨)を預言しています。この世界を造られた神は、この世界をどうでもいいと思っているわけではありません。事実、聖書ははっきりと言います。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

神はこの世を愛され、キリストはこの世のために、十字架にかかり、復活され、この世界の王となられました。そして、再び、この地をさばくために来られます。キリストを自分の主として信じる者に義を宣言し、この世界を裁かれます。

詩篇 95篇

「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。」(1節)

 神のことばである聖書が、私たちに主に向かって歌うことを呼びかけているということは、私たちが主に向かって歌うことを神が望んでおられるということでなくて何でしょうか。実際、エペソ書でパウロも、聖霊に満たされて生きている人の特徴に主に向かって心から歌うことを挙げています。

「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」(5:19)

パウロは、主に向かって歌うように、互いに励ましあうことも勧めています。それほど神は私たちが神に向かって歌うことを願われているからです。今日は主の日。共に賛美の歌を神に捧げましょう!

「ハレルヤ!あなたは勝利された。イエス様、あなたはこの世に勝利された。すべての高きものは落とされる。すべての砦は壊される。あなたは勝利の冠をかぶられた。あなたは勝利した。」(Victor’s Crown by ダーリン・チェック)