詩篇 33:1-11

「新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。」(33:3)

私たちの社会は、常に新しいものが生み出されていきます。新製品という話だけではなく、旬の食材が食卓に並ぶ時、私たちは新鮮さを味わいます。私たちと神との関係も新鮮さが必要です。伝統的な歌も大切ですが、日々、新しい歌を覚えることに挑戦することも大切です。過去感動した聖句も大事ですが、日々、新鮮な気持ちで聖書を読んでいく必要があります。過去に感銘を受けた説教を心に留めることも大切なことですが、神が今という時に、説教者を通して語ろうとしていることに心を開いていく必要があります。神は今生きておられ、新しい事をなさる方です。

「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43:19)

詩篇 32:1-11

「あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。」(32:7)

聖書の神は、私たちの罪を赦してくださるお方です。ダビデは言います。

「私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう。」と。すると、あなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。それゆえ、敬虔な人はみな祈ります。」(5,6節新改訳二〇一七)

罪を隠し、黙っているならば、疲れ果てます。ダビデは告白します。

「私には、罪を認めたくない時がありました。しかし、私はかえってみじめになり、来る日も来る日も挫折感にとらわれて過ごしました。」(3節LB)

ですから、ダビデは言います。

「私は神を信じる人々に、大声で忠告します。『自分の罪に気づいたなら、まだ赦される間意に神に告白しなさい』と。」(6節LB)

神こそ私たちの隠れ場です。苦しみから守り、救いの歌で囲んでくださいます。

※今日は東日本大震災から9年。被災者の方々を覚えて、お祈りください。

詩篇 31:19-24

「すべて、主の聖徒たちよ。主を愛しまつれ。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いをされる。」(31:23)
「神の愛は世界の不思議」(21節LB)
とダビデは言います。この神の愛を黙想するならば、
「主を愛せよ」(23節新改訳二〇一七)
という命令を理解することができると思います。
「勇気を出せ。強くあれ。あきらめるな。すぐ神がここに来られることを期待せよ」(24節MSG)
と言うことも納得できると思います。
「主の聖徒たち」
が新改訳二〇一七では、
「主にある敬虔な者たち」
と訳されています。主を畏れ、主に誠実であることが求められているということだと思います。
「高ぶる者」
をMSG訳では
「傲慢にも単独で行く人」
と訳しています。イエス様は、
「あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」(ヨハネ15:4)
と言われました。イエス・キリストが必要であることを認めることができますように。

箴言 6:30-35

「盗人が飢え、自分の飢えを満たすために盗んだとしたら、人々はその者をさげすまないであろうか。」(6:30)

「盗人が盗むのに空腹は言い分けにはならない」(MSG)と言います。盗みは盗みであり、その行為に対する代償はつきものです。これは、姦淫も同じですが、その代償はもっと大きいと言います。(32‐35節参照)盗みも姦淫も十戒に明記されています。第八戒が「盗んではならない。」(出20:15)第七戒が「姦淫してはならない。」(出20:14)。
これらの律法は私たちを守ります。ですからイエス・キリストは言われました。「ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。」(マタイ5:19)

詩篇 31:9-18

「しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」私の時は、御手の中にあります。」(31:14,15)

ダビデは苦しみの中にありました。ダビデは言います。

「まことに私のいのちは悲しみで尽き果てました。」(10節)

しかし、ダビデはそのような苦しみの中、

「捨て身で、私自身をあなたに投げます。」(MSG)

そして、言います。

「あなただけが私の神です。私の時はあなたの手の中にあります。」(LB)

新型コロナウイルスの影響がまだ収束しませんが、私たちは、主こそ神であることを認め、告白しようではないでしょうか。すべては神の御手の中にあることを認め、委ねようではないでしょうか。主は恵みによって、ご自身の信実によって私たちを救ってくださいます。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 31:1-8

「主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって、私を助け出してください。」(1節)

ダビデは告白します。

「主よ、あなただけが頼りです。どうか敵の横暴から私を守ってください。」(1節LB)

生きていく中で、神だけが頼りであることに気が付くことができるならば希望があります。使徒パウロもそうだったからです。
「自分の無力さを痛いほど思い知らされました。しかし、それがよかったのです。というのは、そんな状態の中で、何もかも神にお任せしたからです。…やはり、神様は私たちを助け、恐ろしい死の危険から救い出してくださいました。これからも、何度でも、救い出してくださるに違いありません。」(2コリント1:9,10LB)

神のもとに来る人を、神はがっかりさせることはありません。

「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。」(箴言18:10)

詩篇 30:8-12

「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。」(30:11)

神は私たちの人生を良い方に変えてくださるお方です。ダビデは叫びました。

「主よ。私はあなたを呼び求めます。私の主にあわれみを請います。」(8節)

「聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。」(10節)

神はダビデの叫びに答えてくださいました。ヤベツもまさに、そのことを体験した人の一人でした。

「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。」

主を呼び求める者に、主は答えてくださいます。そして、

「十分に感謝することはできない」(12節MSG)

と言うようになります。

箴言 6:20-29

「それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。」(6:21)

箴言には姦淫に対する忠告が多く出てきます。結婚生活を破綻に導くだけでなく、人生をおかしくしてしまうからです。聖書はその問題は、「心」からはじまると言います。「夢想」(25節MSG)することからはじまると。ですから、イエス様も忠告されました。

「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:28)

姦淫は何もないところからは始まりません。不誠実さは心から始まります。ですから、聖書は言います。

「健全なアドバイスは灯台。

良い教えは光。

道徳訓練は人生の道。」(23節MSG)

これらの知恵の言葉を私たちの心に結びつけることが大事なことです。日々、誰のことばに耳を傾けるかが問われています。

※ 本日のSSCのビブリオンは、新型コロナウィルス対策のためにお休みします。各自、自宅で聖書を読み、お祈りください。
また、明日の祈祷会も教会のYOUTUBEでライブ配信をします。祈祷課題をお知らせください。
一日も早く新型コロナウィルスが収束しますように、共に、祈っていきたいと思います。

詩篇 30:1-7

「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(30:5)

ダビデが確信をもって「朝明けには喜びの叫びがある」と告白することが出来た理由は、神の御業を思い起こしたからでした。

「私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。」(2,3節)

神は私たちの叫びを聞かれ、私たちの人生に驚くような御業をなされます。ですから、ダビデがそうしたように主に祈り求めましょう。主は癒してくださいます。聖書は言います。

「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」(ヤコブ4:2)

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7:7)

詩篇 29:1-11

「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」(29:11)

「主の声は、力強く、主の声は、威厳がある。」(4節)とダビデは言います。今、私たちはこの力強く、権威がある神の御声を、聖書を読むことを通して聞くことができます。神の御言葉に力がありますから、聖書を読むことを通して、私たちは力を受けることができます。神の御言葉に権威がありますから、聖書を読むことを通して、私たちは祝福を受けることができます。ですから、毎日、聖書を読み、神の御声を聞くことは信仰生活を歩む中で重要です。イエス様も言われました。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)日々の糧を疎かにするならば、人は力を失います。同じように、神の御言葉を日々いただくことを疎かにするならば、私たちの霊性も力を失っていきます。