詩篇116:1-11

「私は、生ける者の地で、主の御前を歩みます。」(116:9)

私たちは「この地上で主の臨在の中で生きる」と言うこの詩人の思いを共有したいと思います。なぜなら、それが私たちのたましいを「全きいこい」(7節)に戻す唯一の方法だからです。詩人の思いは詩人の経験に基づいています。

「私は死に直面し、恐怖にかられ、悲しみのどん底に突き落とされました。私が『主よ、どうかお救いください』と叫ぶと、主は実にあわれみ深く、恵みを注いでくださいました。」(3-5節LB)

詩人は言います。

「身を乗り出して聞いてくださる主に、私は生きている限り祈り続けます。」(2節LB)

私たちはこの地上で生きている限り、祈りをやめてはいけません。主の臨在の中で生きるためには、祈り続ける必要があります。主は身を乗り出して聞いてくださっています。祈り続けましょう!

詩篇115:12-18

「主は私たちをみこころに留め、祝福してくださる。」(115:12)

私たちの神は、私たちを覚えてくださるお方です。

「主はいつも私たちを心にかけて、祝福してくださいます。」(12節LB)

一羽の雀さえ気にかけておられる主は、私たちのことを気にかけておられ、私たちを祝福してくださいます。すべての祝福は神から流れてきます。このお方は、

「天と地を造られた方」(15節)。

興味深いことに、聖書は続けてこう言います。

「天は主の天。地は主が人の子らに与えられた。」(16節)

「天」は主がおられる場所であり、主の領域であり、主のみこころが行われている場所です。しかし、私たちが生きているこの地は、

「人間にゆだねられています」(LB)

と言います。

私たちは神のみこころが天で行われているように、この地で神のみこころが行われるために存在しています。

詩篇115:1-11

「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、ただあなたの御名に栄光を帰してください。あなたの恵みとまことのゆえに。」(115:1)

私たちは全ての栄光を主に帰す姿勢が大事です。

「これを造る者も信頼する者もみなこれと同じ。」(8節)

と詩人が言うように、人は礼拝するもののようになります。偶像を礼拝する者は、偶像のようになると言います。人間を礼拝する者も、その人のようになります。私たちは、偶像でも、人間でもなく、ただ神を礼拝する者となるように聖書は言います。聖書の神は良い神であり、そのなすことも良いことです。(119:68参照)ですから、

「私たちの神は天におられ、やりたいことを何でもなされています。」(3節LB)

と言う表現は私たちに希望を与えます。

箴言 23:29-24:4

「家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。」(24:3)

三〇の知恵の十八番から二〇番まで。

十八.酒ばかり飲む人は「悩みと嘆きにつきまとわれ」(29節LB)る。

「酔っ払うと、ものがまともに見えず、何を言っているかわからなくなり、普通のときなら恥ずかしくて言えないことを、果てしなくしゃべります。」(33節LB)
十九.「人に乱暴し、だますことに明け暮れている」(2節LB)人たちをうらやんではいけない。一緒にいようとしてもいけない。
二〇.「事業を始める時は、よく考えてきちんと計画を立て、しっかり基礎を固め」(3節LB)ること。「主は知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた。」(3:19)ように、私たちの「家」も天からの知恵が必要です。

ヤコブの手紙1:5に、「知恵に欠けている人がいるなら」惜しみなく与えてくださる神に求めなさいとあります。

詩篇114:1-8

「地よ、主の御前におののけ。ヤコブの神の御前に。」(114:7)

「おののけ」と訳された単語は、「震える」とも訳される単語です。地がおののき、震える理由があると言います。それは、主の臨在の中にあるからだと言います。霊的な世界は、柔軟でない律法によってではなく、説明のつかない恵みによって治められています。ですから、地が「震える」と言う意味は、単なる恐怖に震えると言う意味とは違うようです。7節にあるように、それは山が雄羊のように跳ね、丘が子羊のように跳ねるように、スキップし、踊るような震えです。

「神は、堅い岩から、ほとばしる泉のように水を出した方だからです。」(8節LB)

詩篇113:1-9

「今よりとこしえまで主の御名がほめられるように。」(113:2)

詩篇113篇はハレルヤで始まり、ハレルヤで終わる詩です。「ハレル」は「賛美しなさい」と言う命令形で、「ヤ」は、「主」の名です。それで1節は、「ハレル」が続きます。「ヤハウェのしもべたち」に「ハレル」と命じられ、「ヤハウェの御名」を「ハレル」と命じます。「しもべたち」と言うことは献身を意味します。「御名を」と言うことは、神の啓示に対する応答を意味します。そして2節をメッセージ訳はこう訳します。

「忘れないでください。神は祝福です – 今も、明日も、いつまでも。」

「神は祝福です」と言う意味は、辞書によると「神が成功、繁栄、肥沃の力の源であることを宣言すること」です。私たちは、全ての祝福が神から流れてくることを宣言し、ほめたたえるように命じられています。この神こそ、父、子、聖霊の三位一体なる神です。
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。

詩篇112:1-10

「ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。」(112:1)

幸いな人、それは、主を恐れる人。主に対する健全な恐れは大事です。ナルニア国物語で、C.S.ルイスはライオンのイメージを用いました。安全ではないけど、良いお方だと。神の恵みを軽く考えるのは恐ろしいことです。また、主の戒めを大いに喜ぶ人は幸いな人です。聖書の御言葉を日々、読み、黙想し、神を知ろうとする人は幸いです。

「心から、神のおことばどおりにする人は幸せです。」(LB)

2節以下は、そんな主を恐れ、主の戒めを大いに喜び人の幸い、祝福が記されています。それは、個人だけでなく、家族全体に広がるものだと言います。

箴言23:19-28

「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。」(23:26)

30の知恵の十五番から十七番まで。
十五.酒を飲み過ぎて酔っ払ったり、食べ過ぎて肥満にならないように。怠け癖がつくとボロをまとうようになる。(19-21節)
十六.本当の親孝行は「物事を正しく判断できる力をしっかりと身につける」(LB)こと。(22-25節)
十七.遊女に気をつける。(26−28節)
神は言われます。「与えなさい。わが子よ。あなたの心をわたしに。」(26節直訳)聖書は何よりも心が重要だと言います。

「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」(箴言4:23)

心の中で何を考えているか、そこから始まります。ですから、まず、私たちの心を聖霊なる神様に治めていただく必要があります。

詩篇111:1-10

「知恵の初めそれは主を恐れること。これを行う人はみな賢明さを得る。主の誉れは永遠に立つ。」(111:10)

詩篇百十一と百十二篇は、ハレルヤで始まるいろは歌です。

「ハレルヤ。私がどれほど主に感謝しているか、人々に知って欲しいと思います。感謝を忘れない人たちよ。さあいっしょに、主のなさった数々の奇跡を思い巡らしましょう。」(1,2節LB)

まさに、

「パスワードはありがとう」

ということです。私たちは何よりもイエス様の十字架に感謝する必要があります。

「主に身の代金を払っていただいた民は、今や自由に神の前に出入りできるのです。」(9節LB)
また、詩人は言います。

「良い人生は神を恐れることから」(10節LB)。

聖書が教える知恵は、主を恐れることから始まります。

「それは、主を信じて従うことです。」(LB)

詩篇110:1-7

「主は私の主に言われた。「あなたはわたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」」(110:1)

イエス様はこの箇所を引用してご自身の神性を主張されました(マタイ22:42-45参照)。イエス様は父なる神の右の座についておられる主(YHWH)なる神です。聖書の神は、父、子、聖霊の三位一体なる神です。イエス様は今、御座に座して、私たちのためにとりなしをしておられます。(ヘブル7:25参照)イエス様は、「とこしえに祭司」(4節)です。そしてイエス様は、再び来られ、すべてを正される王の王です。(5,6節)
イエス様は言われました。「しかり。私はすぐに来る。」(黙示録22:20)いつイエス様が来られても良いように、私たちは備える必要があります。