pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

創世記 1:1-2:17

「そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。」(1:3)

神のことばには力があります。この世界は、神のことばによって造られました。神のことばは無から有を生み出す力があります。神が「光よ。あれ。」と仰せられたから光は誕生しました。神のかたち(イメージ)に造られた人にも、レベルは違うとは言え、語る言葉に力があります。ですから、私たちの口から出る言葉によって、傷つけたり、癒したりします。言葉の力がどれほど大きいかを認識する必要があります。私たちの言葉は、人を生かすことも、殺すこともできるからです。口から出た言葉は、他者に影響を与えるだけではなく、結局は、自分に戻ってきます。ですから、私たちは信仰的な言葉、前向き、肯定的な言葉を宣言することを心がける必要があります。

※ あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

本日(元日)は、13時半から新年礼拝です!

黙示録 22:1-21

「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。」(22:12)

イザヤ書40:10にこう書いてあります。

「見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。」

イエス・キリストが再び来られる時、この預言は成就します。パウロは、

「神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。」(ローマ2:6)

と教えました。ペテロは、神は

「人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方」(1ペテロ1:17)

と教えました。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)

と言いますが、キリストが再臨される時、最後の審判があることを聖書は語っています。その日は遠くありません。その備えは出来ているでしょうか?

今日(12/31)は23時から年末祈祷会。

明日(元日)は、13時半から新年礼拝!

今年もいろいろなことがありましたが、共に、神様のみ言葉に養われ歩めたことを感謝します。来年も、共に、神様のみ言葉に生かされ、前進していくことができますように!

水が飲めない??

ハプニング続きのクリスマスシーズンの締めくくり、キャンドルサービスが終わり、ようやくほっとして夕飯を食べていた時でした。ペットボトルの水を飲もうとすると、あら?なぜかこぼしてしまうのです。何度試してもこぼれてしまうため飲み口に問題があるのかと調べてみるのですが特に変わったところはありません。不可解なまま食事を終え、歯磨きをしていると、口をゆすごうと水を含んでも、口からこぼれてしまうのです。ようやく目の前の鏡を見てびっくり!顔の左側が明らかに変な状態なのです。口を開けると右側しか開きません。そう。顔面神経麻痺になっていたのです。次の日に病院に行ったところ急遽MRIもとることになりました。幸い脳梗塞ではありませんでしたが、閉まらない口と目は不便でつらいものですね。そんなわけで左目の眼帯とマスク着用で皆様の前に出ることになりますが身体は元気ですのでどうぞご心配なさらないようにお願いします。以上、牧師婦人の近況報告をもって今年のデイリーを終えたいと思います。
(小山晶子牧師婦人)

黙示録 21:1-27

「そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。」(21:3)

「神の幕屋」が意味することは、神の臨在です。幕屋はまさに、天と地が交わる場所でした。天は神の領域です。天の現実を今は見えないかもしれませんが、キリストが再臨されるとき、目に見える現実として現わされ、永遠に続きます。天と地が交わる「幕屋」、それは、イエス・キリストがこの地上に誕生されたことによって成就しました。

「ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った。」(ヨハネ1:14岩波訳)

私たちが幕屋を作るのではありません。キリストがすでに幕屋を張られました。私たちはすでにキリストの中で天の現実を体験しています。そして、もうすぐ、キリストは再臨され、目に見える現実となります。
今日は今年最後の主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

※ 本日の第三礼拝(18時)はお休みです。明日は、年末祈祷会がもたれます。

黙示録 20:1-15

「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。」(20:11)

すべての人は一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっています。聖書ははっきりと人類に告げています。この世の終わりに、すべての人は、神の大きな白い御座の前に立ち、裁かれます。神はすべてをご存知です。

「神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」(伝道者12:14)

「いのちの書」に名前が記されていない者はみな、火の池(地獄)に投げ込まれます。しかし、イエス・キリストを主として信じる者は、イエス・キリストの十字架の御業のゆえに「いのちの書」に名前が記されています。ですから、白い御座の前に立つその時、恐れる必要はありません。イエス・キリストの信実のゆえに、イエス・キリストを信じる者を神は義と宣言してくださいます。(ローマ8:1参照)

黙示録 19:11-21

「その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。」(19:16)

イエス・キリストは、「王の王、主の主。」と呼ばれるお方です。「王の王」は、英語では、「キング・オブ・キングズ」になります。もちろん、その意味は、最上級の、そして唯一、本当の王、という意味があります。キリストは正義と愛をもって、完全な統治をされる、王なる神です。私たちが思い描くことができる、やがて来るキリストのイメージは、「王の王、主の主」です。ヘンデルのメサイヤのハレルヤ・コーラスを覚えていらっしゃるでしょうか?その歌詞は、「ハレルヤ」だけでなく、「キング・オブ・キングズ」「王の王」、「ロード・オブ・ローズ」「主の主」と歌います。このキリストのイメージを感じることができるならば、かつて、その演奏を聞いた王様が、立ち上がったように、私たちも、王なるキリストの前に、立ち上がり、襟を正し、敬意を表さずにいられないことでしょう。

※ 本日のSSCの祈祷会はお休みです。31日(月)は年末祈祷会。

黙示録 18:17-19:10

「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。」(19:7)

小羊はイエス・キリスト、花嫁は教会を指しています。私たちは、聖書が教会を花嫁と呼んでいることを心に留める必要があります。教会は不完全な人の集まりですから、完全ではありません。しかし、聖書にはこう書いてあります。

「だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。」(エペソ5:29)

イエス・キリストは、そんな欠けだらけのキリスト教会を終わりの日の婚姻の日まで養い、育てると約束しています。婚姻の時が意味していることは、自分がもっている所有物、運命の共有です。キリストを信じる者たちには、教会には、栄光に満ちたキリストと共同相続人になるという未来があります。キリストの教会は、キリストが養い、育ててくださっていることを認め、従う必要があります。

黙示録 18:1-17

「それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。」(18:4)

神が「離れなさい」と言ったこの女は、終わりの時代に登場する商業都市、バビロンと言われていますが、7節を見ると三つの問題があったことが分かります。

一.自分に栄光を帰した。

二.自分を喜ばすことだけに生きた。

三.自分の力を過信した。

今すでに、「ミーイズム」と呼ばれる自分中心の価値観が強い社会に生きています。しかしこのようなこの世の価値観から離れる必要があります。聖書にこんなたとえがあります。「天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」(マタイ13:45,46)イエス・キリストの永遠の価値を知っているならば、この世の価値は色あせるものです。

黙示録 17:1-18

「この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」(17:13,14)

イエス・キリストと戦う愚かな人がいるのでしょうか?しかし、今日の箇所を見ると、大患難時代に、時の指導者が戦いを挑むと言います。しかし、世界中の力をどんなに結集しても、神の小羊に勝つことはできません。

「小羊は彼らに打ち勝ちます。」

聖書は言います。

「天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。」(詩篇2:4)

たとえ、今、この世が勝利しているように見えたとしても、最終的な勝利は神の小羊にあります。キリストは十字架の上で勝利をとられました。このクリスマス、勝利の主がこの世界にお生まれになられたことを覚えたいと思います。

黙示録 16:1-21

「こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。」(16:16)

「ハルマゲドン」という言葉はよく曲解されます。「ハル」は丘という意味で、「マゲドン」はイスラエルにある「メギド」という地名です。ですから、「ハルマゲドン」とは「メギドの丘」という意味です。その場所に悪魔はやがて神に対抗しようと世界の軍勢を集めると言うことです。しかし、一瞬のうちに決着がつきます。神は絶対者、対立を絶つ存在、誰も神に立ち向かうことなどできません。私たち人間が謙遜に知らなければならないことがあります。それは、私たち人間は神になることは出来ないし、神に対抗できる者にもなれないということです。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)

今日はクリスマス・イブ。神の御子は闇のようなこの世に来られて永遠の光を灯されました。このお方を信じる者は闇の中を歩むことはありません。