pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

昭和世代と平成世代

来年5月1日に皇太子が天皇に即位することが正式に決まったということで、この日が来年に限って祝日になるそうですね。わたしの誕生日を日本中で祝っていただくようでなんだか申し訳ないです(すみません、ジョークです)。

昭和世代、平成世代に新たな世代が加わって比較すると興味深い内容になりそうです。〝24時間働けますか?”に象徴される昭和世代。〝みんな違ってみんないい“”ゆとりですが、何か?〟に象徴される平成世代。ほんの数十年で私たちを取り巻く状況も、考え方も、価値観もものすごいスピードで変化していきます。教会も様々な世代で構成されています。戦中戦後を必死で生き抜いてきた人、家族との時間も取れないまま働きずめだった人、バブルを経験した人、就職氷河期だった人、ゆとり教育ど真ん中だった人等々。パウロの手紙を読んでいると、初代教会にも似たような状況があり、摩擦があったことが分かります。相手の立場に立って物事を見ることの大切さを歳を重ねるごとに私自身も感じています。皆さんは、いかがですか?  (小山晶子牧師婦人)

2テサロニケ 2:1-17

「ですから兄弟たち。堅く立って、語ったことばであれ手紙であれ、私たちから学んだ教えをしっかりと守りなさい。」(2:15新改訳二〇一七)

「私たちが説教や手紙で伝えた教えを守りなさい」(LB)

と言う理由は、偽教師に惑わされたり、だまされたりする人がいたからです。パウロは言います。

「幻を見たとか、神から特別のことばを受けたとか言う人が現れても、また、私たちから送られたもののように偽造した手紙を見せられても、信用してはいけません。」(2節LB)

パウロは、それよりも「学んだ教え」をしっかり守りなさいと言います。「学んだ教え」が新約聖書です。聖書よりも

「不思議なわざを見せては人々をだまし、力ある奇跡を行う者であるかのように見せかけるのです。」(九節LB)

という問題がありました。何を土台とするか、私たちは問われています。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

2テサロニケ 1:1-12

「そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。」(1:11)

使徒パウロがテサロニケの教会の信徒たちのために祈っていたことは、まず第一番目に、「召しにふさわしい者」となれるようにということでした。私たち一人一人に神の「召し・召命」(Call)があります。イエス様も言われました。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネ15:16)

神の召命にふさわしい生き方を全うすることできますように。

1テサロニケ 5:1-28

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(5:16-18)

「神が望んでいる」と訳された単語は、「神のみこころ」と訳すことができます。神の私たちに対するみこころは、私たちがいつも喜び、絶えず祈り、すべての事について感謝することだと聖書は言います。神は、私たちが、どんな状況でも神を信頼して喜ぶことを願われておられます。もちろん、そのためには、絶えず祈る必要があると言います。「それでもなお祈る」という祈りを止めないということです。信じて祈り続けることこそ、神のみこころであるということです。そして、必ず神がすべてのことをプラスにしてくださると信じて、プラスに見えることだけでなく、マイナスに見えることも、すべてのことについて感謝することです。「ハレルヤ、主よ、感謝します。」と感謝することが神のみこころです。

1テサロニケ 4:1-18

「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、主はこれらすべてのことについて正しくさばかれるからです。これは、私たちが前もってあなたがたに話し、きびしく警告しておいたところです。」(4:3-6)

神の私たちに対するみこころは、聖くなることだと聖書は言います。この箇所では、自分のからだを聖く保つことを教えています。私たちは自分の心を汚れた思いや欲情のとりこにさせられないように、何を見、何を聞くか、注意をする必要があります。また、「兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。」とあるように、自分の聖さばかり考えて、周りの人を踏みつけないように気をつける必要があります。

1テサロニケ 2:17-3:13

「このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。」(3:3)

クリスチャンになったら順風満帆の人生が待っているという約束は残念ながらありません。逆に、

「クリスチャンにとって困難とは、神の計画の範囲内の出来事なのです。」(3節LB)

とパウロは言います。困難は想定内であると言うのです。ですから、問題があることが問題ではありません。問題をどう対処するかが問題です。問題は祈るためにあります。パウロは

「昼も夜も熱心に祈っています。」(10節)

と言いますが、私たちが膝を屈め祈り始めるときに、神の偉大な御業を体験します。私たちの神は今も生きて、働かれておられるお方です。私たちの祈りにこたえてくださるお方です。

1テサロニケ 1:1-2:16

「こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」(2:13)

聖書は「神のことば」です。この手紙の著者は使徒パウロですが、聖霊なる神様がパウロに霊感を与えてこの手紙を書かせたと、神のことばとして受け入れることが大切です。そして、この神のことばは、当時のテサロニケの人々のうちに働かれただけでなく、今も、信じる私たちのうちに働いています。LBでは後半部分をこう訳しています。「事実、この神のことばは、信じる者の生活を一変させるものです。」神のことばには力があります。ですから、信仰をもって聖書を「神のことば」として読むことに意味があります。神のことばは力があり、信じる私たちのうちに働いているからです。

コロサイ 4:2-18

「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。」(4:2,3)

使徒パウロは祈りの力を知っていました。祈りなくして、福音を伝える機会が与えられるとは考えていませんでした。神は、私たちの小さな祈りを用いて、大いなる御業を行われるお方であることを知っていたのです。神は私たちの祈りを聞かなければならないわけではありませんが、聞かれるお方です。ですから、パウロは訴えます。

「祈りをやめてはいけません。感謝をもって、熱心に祈り続けなさい。」(2節LB)

だから、聖書は言います。

「神のもとに来ようとする人はだれでも、神の存在と、熱心に神を求めれば神は必ず報いてくださることを、信じなければなりません。」(へブル11:6LB)

ああ、おいしい

港南台バーズの中に新しいお店がオープンしました。国内外から様々な食材を集めた見るだけで楽しい「北野ACE(エース)」という店です。成城石井やカルディとかぶる感じもあるのですが、フロアが広く商品が見やすいので落ち着いてショッピングが楽しめます。驚いたのはナッツ類・ドライフルーツ類の豊富さとレトルトカレーの種類の多さ。売り場棚の半分全てがレトルトカレーだったことには圧倒されました。でも、本当に感動したのは276円のごま高菜漬けです!まあ、おいしい。おいしいにもいろいろあると思いますが、とにかくめっちゃおいしいです!恐らく北野エースのオリジナル商品だと思うのですがご飯が進むこと、進むこと。皆様是非お試しください。味わうって、大切ですね。だって確信をもって紹介できるから。罪が赦され、永遠の命をいただけるって本当に素晴らしいんだよ!イエス様のこともそんな風に、確信をもって人々に伝えるためには私たちがまずしっかりとその事実を味わうことから始めなければいけませんね。   (小山晶子牧師婦人)

コロサイ 3:1-4:1

「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」(3:1,2)

私たちはキリストにある価値観、世界観に生きるよう勧められています。LBでは2節をこのように訳しています。

「地上のことをあれこれ気に病まず、天上のことで心を満たされていなさい。」

これは、世捨て人になることではありません。神の国、神のみこころ、神の国の価値観、聖書の価値観で心を満たすことです。ですから、15節にこう記されています。

「キリストにある平和が、いつもあなたがたの心と生活を満たすようにしなさい。そうすることが、キリストの体の一部とされたあなたがたの責任であり、特権でもあるからです。また、いつも感謝していなさい。」(LB)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!