pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

使徒 28:1-16

「島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ。」と言いだした。」(28:6)

難破したパウロたちはマルタ島になんとか泳ぎ着きました。パウロが枯れ枝を一抱え集めて火にくべると、まむしがはい出してきてパウロの手にかみつきました。それを見た人たちは言いました。

「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」(4節)

しかし、パウロが振り落として、何の害も受けないのを見ると、考えを変えて「この人は神さまだ。」と言い始めました。群集心理とはそんなものです。何か悪いことが起きると、何かのたたりのように言いますが、物事が好転するとすぐにその考えを改めます。ですから、私たちは状況に一喜一憂せずに、マイナスをプラスに変える主に信頼する必要があります。

使徒 27:13-44

「ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」(25節)

嵐と闇、それにいつ難破するかわからない危険の中で、船の中にいた人々は、不安と恐怖におののいていました。その中でただ一人、落ちついて人々を励ましている人がいました。それが使徒パウロでした。キリスト教の特徴は希望です。私たちはイエス・キリストが死の力を打ち破ってよみがえり、今生きておられることを信じています。人生がたとえどんなに暗闇であったとしても、よみがえられたキリストの臨在は、私たちを励まします。私たちにとって死は、「死の陰の谷」と呼ばれるように一時的であり、死の向こうに天の御国への希望があります。ですから、キリスト者は周りにいる人々をも励ますことができるようになります。いつも共におられるキリストの臨在は、私たちの恐れを取り去るためだけではなく、元気を失っている人々を励ますためでもあります。

保証期間

洗濯機が壊れてしまいました。しばらく前から調子はおかしかったのですが、リセットすれば一応動いていたのでだましだまし使って数か月。とうとう動かなくなってしまい販売店へ連絡することになりました。梅雨が終わり汗をかく機会が増え、洗濯物はたまる一方。でも修理は一番早くても4日後とのことでコインランドリーのお世話になることになりました。洗濯と乾燥で一回千円。千円札をわざわざコインに両替しないといけないという手間。絶対お札を使えるようにした方がいいのに、どうしてコインしか使えないんだろう、、、あ、コインランドリーだからか、などと意味のない質疑応答を頭の中で繰り返していました。5年保証にしておいたのに気がつけば5年2か月。おかしいと思った時点で早めに手を打っておけば修理が無料だったのにランドリー代を含めかなり痛い出費になってしまいました。信仰生活も、あれ?と思った時は早めに手を打った方がいいかもしれません。聖書を開き、読み、黙想し、祈る。私たちの修正の仕方はとてもシンプルですから。(小山晶子牧師夫人)

使徒 26:24-27:12

「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。」(27:11)

素人のパウロの言葉よりも、航海士や船長のことばを信用するのは一般常識だと思います。しかし、この後、パウロはこう言うことになります。

「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。」(21節)

パウロにしてみれば、「だから言ったのに…」というところだったと思います。私たちは、どのぐらい神のことばを信用しているでしょうか?専門家のことばよりも、一般常識よりも、神のことばを信用していると言えるでしょうか?日々、聖書を開き、神のみことばに耳を傾けているのは、神のみことばを信用しているからだと思います。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

使徒 25:23-26:23

「すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」(26:23)

新改訳二〇一七では、正しくも、「最初に」を復活にかけています。

キリストは「死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになる」。

イエス・キリストの復活は1コリント15章にもあるように「眠った者の初穂」です。すなわち、エゼキエル37章に出てくる枯れた骨の復活が始まったことを意味します。エゼキエル37章には、さらに、メシヤにあって二つの杖が一つになる幻が描かれています。「この民と異邦人」とに福音は宣べ伝えられ、キリストにあって一つとなるということだと思われます。そしてエゼキエル書43章には神の栄光の帰還が預言されています。「光を宣べ伝える」とは、まさにこのイエス・キリストの十字架の死と復活によってもたらされた神の栄光の帰還を宣べ伝えたということです。

使徒 25:1-22

「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。」(25:19)

ローマの総督フェストゥスの発言に、当時のユダヤ人以外の人たちがどのように復活を理解していたかを垣間見ることができます。彼は死んでしまったイエスが天国に行ったとパウロが主張しているとは言いませんでした。

「そのイエスが生きているとパウロは主張している」

と言いました。フェストゥスがパウロの弁明をどれだけ理解できていたかは分かりませんが、少なくとも、「死人の復活」が争点となっていることは疑う余地がなかったのです。イエス・キリストの復活を迷信、神話と主張する人がいます。「死人の復活」が信じられなかったのは昔の人も同じです。その信じられないことが起こったからこそ争点となったのです。聖書の主張は変わりません。イエスは死から復活し、生きています。

使徒 24:1-27

「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」(24:16)

パウロの終末論ははっきりしていました。すべてのことが正される神の裁きの日が来ることを信じていたパウロは、

「いつも良心に恥じない生活を精一杯心がけて」(LB)

いました。もちろん、それは失敗しないということではありません。

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)

とあるように、罪を告白しつつ、最善を尽くして生きていくということです。もちろん、私たちはただ神の恵みによって救われます(エペソ2:8,9参照)が、それは、良心に恥じない生活を心がけなくていいという許可証ではありません。イエス・キリストの十字架の御業は、私たちがすでに良心に恥じない生き方をするためでもあります。

使徒23:12-35

「ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営にはいってパウロにそれを知らせた。」(23:16)

パウロの家族に関する詳細は記されていませんが、少なくとも、パウロの姉妹の家族がこの時、ちょうどエルサレムに住んでいたことがわかります。そして、パウロを殺す陰謀を知った時、パウロの姉妹の子は何をすればよいか分かっていました。そのことをパウロに知らせたのです。神のみこころがいつもどのように導くかは私たちの想像を超えています。しかし、この子のように、原則として、祈りをもって行動することが求められます。危険が迫っているのを知ったならば防ぐことができるように。悪意があるならば、挫くことができるように。誘惑があるならば、立ち向かう力が与えられるように。もちろん、いつも、わたしの思いではなく、神のみこころがなるようにと祈りつつ行動する必要があります。神の御国が来ますように。

使徒 22:22-23:11

「その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。」(23:11)

使徒パウロは、キリストをもっとも信じて欲しかった同胞のユダヤ人たちに拒絶され、落ち込んだのだと思います。主がパウロの側に立って、彼を励ましました。

「エルサレムでは大変だったけれども、よくわたしのことをあかししてくれた。さあ、今度は、ローマでわたしのことをあかししなさい。」

神は過去を脇に置かせて、未来に目を向けさせました。私たちもパウロと同じように、仲間から拒絶されたり、見捨てられてしまうことがあります。しかし、主は私たちを見捨てることはありません。暗やみに囲まれたような時も、私たちのそばに立って、過去を脇に置かせ、未来に目を向けさせてくださいます。そして言われます。

「勇気を出しなさい。あなたの人生には目的があります。」

使徒 21:27-22:21

「そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。」(22:8)

使徒パウロは、長年の夢でもあった同胞への伝道のチャンスに、神学的論争ではなく、自分の個人的な体験、「証」を話しました。誰かにイエス・キリストのことを伝えるのに一番力強い方法は、イエス・キリストとの体験を語ることです。(ですから専門的な教育をうけてなくても伝道はできます。)イエス・キリストが自分の人生に何をし、何が変わったかを人々に語ることはインパクトがあります。誰も否定できないからです。パウロのポイントは三つです。

まず、彼がどういう人物であったか、彼の過去。

そして、彼の回心、彼の人生に神が介入されたこと。

最後に、これからのこと。神がすべての人に福音を伝えるように命じたことを話しました。

パウロのように、いつでも自分の証を語れますように。