pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

ザリガニ池の異変

天候不順が続き低気圧の影響をもろに受ける今日この頃。

なかなかすっきり清々しい日が少ないですがそんな中でも裏の川を少し散歩しては気分転換をしています。

鳥たちの求愛の歌に耳を傾けたり、流れる水のリズムに癒されたり、とても素敵な環境です。

日曜日の礼拝後、ぜひ皆さんも散歩してみてください。

冬の間すっかり枯れてしまっていたハンゲショウも若芽が出始めました。

息子たちが幼い頃は教会学校も男の子が多くて、夏のキャンプや礼拝後の自由な時間によくザリガニ池でザリガニを捕っていました。

先日の大雨の後久しぶりに池を覗いてみたら、何故か小さくて透明なエビが大量発生していました。

もちろんザリガニもいるのですが圧倒的にエビの数が多いのです。

調べてみると川に生息するエビはわかっているだけでもざっと16種類いるそうで、似たような外見のものもいるため捕獲してみないと正確な名前を調べられません。

気になる、、、。

でも大人一人ではちょっぴり恥ずかしいので教会学校のみんなを誘って捕獲しに行こうかと思案中。

誰か一緒に行ってくれるかな?

(小山晶子牧師婦人)

1列王記 6:1-13

「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」(6:13)

「ソロモン王が神殿の建設にかかったのは、即位後四年目の春のことでした。イスラエルの民が奴隷となっていたエジプトを出てから四百八十年後のことです。」(1節LB)

この後、具体的にどのような建物を建てたかに言及されます。

しかし、11節から13節で、建物に関しての言及が一時中断されます。

そして、この建築の一番重要な目的が何か、神はソロモン王に語られます。

重要なのは「住居」(建物)でなく「住人」、誰がそこに住むかということだと。

準備に心を奪われ、もっとも重要な点を見過ごしてしまうことがあります。

「しかし、必要なことは一つだけです。」(ルカ10:42)

とイエス様は言われました。

神が求めているのは、御霊と真理によって神を礼拝する者です。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

1列王記 5:1-18

「どうか、私のために、レバノンから杉を切り出すように命じてください。私の家来たちも、あなたの家来たちと一緒に働きます。私はあなたの家来たちに、あなたが言われるとおりの賃金を払います。ご存じのように、私たちの中にはシドン人のように木を切ることに熟練した者がいませんから。」(5:6)

ツロの王ヒラムはシドン人でした。

要するにイスラエル人ではない、異邦人でした。

しかし、ソロモン王は、神殿を建築するために彼に応援を依頼したのです。

これは、神殿とは何かを暗示しています。

イエス様は、神殿に関してこう言われました。

「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」(マルコ11:17)

これは、イザヤ書56章からの引用です。

つまり、神殿はユダヤ人のためだけでなく、あらゆる民が神の契約の中に入るために造られた祈りの家だったということです。

すべての人を救うために、イエス・キリストは、十字架にかかり、死に、葬られ、よみがえられました。

1列王記 4:20-34

「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。」(4:29)

ソロモン王の内面的生活は、外面的生活と比例していました。

ソロモン王は、豊かな知恵と理解力があり、彼の知恵はどんな学者よりもまさっていました。

彼の知恵を聞くために、多くの国々の王が、使者を送るほどでした。

しかも、彼は、

海辺の砂浜のように広い心

が与えられていたと言います。

このような彼の内面的、霊的な生活は、外面的、物質的な世界とかけ離れていませんでした。

「ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバに至るまでのどこでも、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。」(25節)

このようなソロモン王の人生はヨハネが祈った祈りの成就とも言えます。

「愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」(3ヨハネ2)

1列王記 4:1-19

「こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった。」(4:1)

ソロモン王の知恵は、行政のリーダーシップにも示されます。

ジョン・マクスウェル師はリーダーシップには5つのレベルがあると言います。

第一段階は、地位、「ついていかなければならないから、ついていく」と人々が考える状態です。

第二段階は、承認、関係「ついていきたいから、ついていく」と人々が考える状態。

第三段階は、結果、功績「組織に対する功績があるから、ついていく」と人々が考える状態。

第四段階は、育成「自分たちに尽くしてくれるから、ついていく」と人々が考える状態。

第五段階は、人間力「あなただから、ついていく」と人々が考える状態。

「ソロモン王は全イスラエルの王となった」という意味は、この段階を上ったということなのだと思います。

リーダーになるというのは常にプロセスがあり、知恵が必要です。

ですから、誰もが、リーダーシップについて学ぶ必要があります。

1列王記 3:16-28

「全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。」(3:28)

富や長寿よりも知恵を選んだソロモン王の名は伝説となりました。

もっとも、知恵を求めたこと自体が、最大の知恵だったと言えるかもしれません。

知恵は、単なる情報や理論的な知識ではありません。

善と悪を区別し、それに基づいて行動する実践的な能力です。

この箇所で、ソロモン王は与えられた知恵で、具体的に二人の母親を裁きます。

生きている子がどちらの子かを判別するために、子どもを二つに切り分けるように命じます。

本当の母親は、その子を愛していたので、その子が殺されずに、生かすために手放そうとします。

ところが、もう一人の母親は、「断ち切ってください」と言います。

このようにして、どちらが本当の母親かを明らかにしました。

聖書は言います。

「主を恐れることは知恵の初め」(箴言9:10)

1列王記 3:1-15

「そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。」(3:13)

神はソロモン王に言いました。

「あなたに何を与えようか。願え。」(5節)

ソロモンは自らの未熟さを認め、王国を治めるための

「聞き分ける心」(9節)

を求めました。

聖書は言います。

「ソロモンが知恵を願い求めたので、主はことのほか喜びました。そこで、こう答えました。「あなたは民を正しく治める知恵を求め、長生きすることや財産、または敵に勝つことを願わなかった。 したがって、望んだものを与えよう。しかも、ずば抜けた知恵を。また、望まなかった財産と名誉も与えよう。あなたが生きている間、財産と名声であなたにかなう者はだれもいないだろう」(3:10-13LB)

聖書は言います。

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ6:33)

1列王記 2:36-46

「それなのになぜ、主への誓いと、私がおまえに命じた命令を守らなかったのか。」(2:43)

シムイはサウルの家の一族の一人でした。

アブシャロムの反乱によってエルサレムを追われたダビデ王を呪った人物でした。

アブシャロムが死に、ダビデ王がエルサレムに戻る時に、シムイはダビデを迎えに下ってきて、赦しを求めました。

それで、ダビデ王は彼を赦しました。

しかし、ダビデ王は彼が脅威になると考えたのか、ソロモン王に彼を処刑するように命じました。(2:9)

ソロモン王がシムイに命じたことは、エルサレムから出て行ってはいけないということでした。

そして、エルサレムを離れたら死刑となることをシムイも受け入れました。

ところが、この箇所では何もなかったかのようにシムイがエルサレムを離れたことが記されています。

シムイは主への誓いと、王の命令を軽んじたのです。

神の御言葉を軽んじることがありませんように。

ヒノキよ、お前もか

ようやくコロナから体調が回復し日常を取り戻したのも束の間、ヒノキの花粉の飛散がピークを迎え頻繁に大きなくしゃみが出るようになってしまいました。

この時期にリラのコンサートが入ってなくて本当に良かった、、、などと思っていた矢先にメンバーの塚田献さんが大動脈解離で緊急入院したという連絡を受けました。

現在も集中治療室で処置を受けている状態です。(昨日、一般病床に移ったとの連絡がありました。)

献さんの癒しはもちろんのこと、そばにいる家族、教会の方々のためにもお祈りいただければ幸いです。

人生は想定外のことが起こりますね。

どんなに綿密な計画を立てていても一瞬で崩れ去ってしまう。

でもキリスト者の希望は、神様が全てを働かせて益としてくださることに望みを置くことができることだと思います。

たとえ失敗してもそれを用いて良きものへと変えてくださる主に信頼して今週も誠実に歩んで行きましょう。

明日は わたしには
わからないけど
明日を守られる
イエスがおられる

(小山晶子牧師婦人)

1列王記 2:26-35

「それから、王は祭司エブヤタルに言った。「アナトテの自分の地所に帰れ。おまえは死に値する者だが、今日はおまえを殺さない。おまえは私の父ダビデの前で神である主の箱を担ぎ、父といつも苦しみをともにしたからだ。」」(2:26)

この箇所に出てくる報復行動は、ダビデ王の命令に対するソロモン王の行動ではありましたが、正しかったかどうか、聖書は明言しません。

一つ明確なのは、王制は決して完璧な制度ではないということです。

アドニヤの陰謀を支持した祭司エブヤタルは、死に値しました。

しかし、彼が祭司として神に誠実に仕え、ダビデ王と苦難を共にしてきたことは忘れ去られることはありませんでした。

「神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになることはありません。」(ヘブル6:10協会共同訳)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!