「おまえたちは苦しむ者の計画を踏みにじろうとするだろう。しかし主が彼の避け所である。」(14:6)
立教の月本先生はこう言います。
「人は全て幸福を求めて生きる。だが、おのれの欲望の充足がすなわち幸福である、と錯誤されるとき、社会は欲望充足の戦場となり、義と公正は踏みにじられてゆく。強者は弱者に犠牲を強いて、これを食い物にする。人々の理性はゆがみ、良心は麻痺してしまう。」
今日の箇所はそんな人々に対する「預言者的な審判」の言葉だと言います。
人々が弱者を食い物にするのは主なる神を信じないからで、やがてそういう生き方が間違っていたことに気づかされる時が訪れると言います。
なぜなら、主なる神が、神の義に頼る他はない社会的弱者の側に立ち、苦しむ者をしっかりと守られるからだというわけです。
「貧しい者や謙遜な者が悪者に虐待されるとき、神は避け所となってくださいます。」(LB)
私たちの希望はこの神にあります。