ガラテヤ 6章

「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」(8節)

「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」(7節口語訳)というのは、聖書が教えるこの世界の法則の一つです。リンゴの種を蒔けばリンゴを刈り取ります。リンゴの種を蒔いてぶどうを刈り取ることはありません。ですから、何を蒔くかはとても重要です。メッセージという訳では八節をこのように訳しています。「自己中心(他者の必要を無視する‐神を無視している!)を植える人は、雑草の実を収穫する。彼の人生のために彼が現さなければならないのは、すべて雑草である!しかし神に応答する中で植える者は、神の霊に彼の内に働いてもらうならば、本物のいのち、永遠のいのちの実を収穫する。」日々の生活の中で、自問することは良いことだとおもいます。ただ自分の欲望を満たすために生きているのか、それとも、神様の導きを求めているのか。

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