Ⅰ歴代誌 13章

「私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。」(3節)

 「神の箱」、それは神の臨在の象徴でもありました。しかしサウルの時代、それはほったらかしにされていました。神はサウルを王として選び、サウル王はイスラエルの国を建国し、権威者となりました。しかし、彼にとって「神の箱」などどうでもよかったのです。彼にとっての神は、その程度の存在だったからです。「あってもなくてもいい」、その程度の信仰だったのです。

私たちはどうでしょうか。私たちにとって神に礼拝を捧げることは、どの程度の意味があるでしょうか。礼拝は捧げても、捧げなくてもいいものでしょうか?今まで、神に礼拝を捧げることを顧みずにきてしまったならば、今日、ダビデたちのように心を一新(考え方を新たに)しようではありませんか。まず、神の国と神の義を求めようではありませんか。

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