イザヤ 66章

 
「これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。―主の御告げ。―わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」(2節)

神様が目を留められるのは、傲慢で強い人ではなく『へりくだって心砕かれた人』である、とこの箇所は語っています。なぜなら傲慢な人は神様が必要ではないと思っているからです。この箇所にもあるように、いま私たちに与えられているすべてのものは本来神様からの無償の贈り物です。水も、空気も、土地も、草花も食物も。家族や友人もそうです。それなのに私たちはその方を無視し、すでに「ある」ものからの加工品を造り、あたかも自分ですべてを作り出したかのような顔をしています。すべてを与えてくださっている方を、必要ないと無視して生きていないでしょうか。生かされていることを、まず感謝する一日でありますように。

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