ルカ 23:13-25

「けれども、彼らはイエスを十字架につけるように、しつこく大声で要求し続けた。そして、その声がいよいよ強くなっていった。それでピラトは、彼らの要求どおりにすることに決めた。」(23:33,34)

群衆がいつも正しいとは限りません。

裁きの座につくピラトも、公正に裁く責任を感じていません。

彼の中心的な目的は、暴動を避けることだったからです。

この過ぎ越しの祭りという時を、大きな問題なくやり過ごすことができれば、それで、良かったのです。

ですから、マルコの福音書の15:15節にはこう記されています。

「それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。」

しかし、私たちは正しい審判者である神がおられることを知っています。

やがて、神はすべてを正されます。

ですから、群衆に流されるのではなく、神の真理に立つことができますように。

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