使徒 12:13-25

「彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。」(12:13)

奇跡的に救われたペテロは、彼のために祈っていた「マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家」(12節)に行きました。

そこにロデという召使がいました。

召使という表現は、現代にはふさわしくありません。

要するに、ロデは喜んで召使の役割をしたということです。

ロデのように仕える人がいたから、初代教会はうまくいきました。

教会はロデのように喜んで神と人に仕える人たちが必要です。

ただ、彼女はあわてものでした。

彼女は

ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。」(14節)

とあります。

著者のルカは「喜びのあまり」そういうことをしたのだから許してあげましょうと記しました。

教会は失敗を責める場所ではなく、「喜びのあまりですから」と、赦しあい、愛し合うところだからです。

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