マルコ 3章

「人々は、イエスがこの人を安息日に治すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。」(3:2)

パリサイ人たちは、自分たちの思い通りに動かないイエスにいらだちを覚え、訴える口実を見つけようと企んだと言います。

ここでいう「訴える」とは、「責める」という意味です。

イエスを「責める」ために、口実を見つけようとしたと言うことです。

誰かを「責める」という行為の背後には、サタンの力が働いているというのが、聖書的な理解です。

なぜならば、この「責める」という言葉こそヘブル語の、サタン」という言葉なのです。

サタンの力が働いているから、誰かを責めるために貶めようとするのです。

不信感を与えたり、仲たがいさせたり、サタンは巧妙です。

サタンの目的は、人々が責め合って滅ぼしあうことです。

聖書は、責め合うのではなく、赦し合おうと言います。

責め合うことは、サタンに欺かれていることであり、サタンの策略にのってしまっていることだからです。

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