マルコ 2章

「ですから、人の子は安息日にも主です。」(2:28)

弟子たちが穂を摘んだという行為は、当時は珍しい光景ではありませんでした。

食物を買うことができない貧しい人たちが、麦の穂を摘んで食べることは律法(レビ19章)で規定されていた権利だったからです。

イエスの弟子たちの行動は貧しさのゆえでした。

イエスがダビデ王の例を挙げたのも、「『空腹で我慢できなかったこと』をあなたは責めるのか」と言っているようです。

問題は安息日だったことですが、パリサイ人たちは責めるのではなく、助けるべきでした。

聖書を規則書のように扱い、ただでさえ困難の中にいる人を、さらに断罪していこうとする、当時の宗教指導者たちに、イエスは視点の転換を迫ったのです。

原文は、「安息日でさえも主」とも訳せます。

人類を抑圧するどんな規定よりも、イエスは権威があるということです。

今日は主の日。共に主なる神に礼拝を捧げましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です