「私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(2:2,3)
キリスト教はキリストです。
聖書は、単なる人生のハンド・ブックではなく、神の啓示です。
私たちは、「神がすべてにまさるお方である」ということを、この聖書を通じて知る必要があります。
パウロがこの箇所で言いたいことは、神の奥義、隠された計画は、イエス・キリストであるということです。
つまり、宝はイエス・キリストであるということです。
キリストを見出すことが、宝を見出す事だと言うのです。
ライト教授がこんなことを言っています。
「クリスチャンになることは、自転車に乗るようなものである。前に進まなければ、倒れてしまう。」
それは、いつも、キリストを必要として生きると言うことです。