ヨハネ 19章

「その後で、イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り降ろすことをピラトに願い出た。ピラトは許可を与えた。そこで彼はやって来て、イエスのからだを取り降ろした。以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。」(19:38,39)

人目を恐れていたアリマタヤのヨセフとニコデモが、大胆にもイエス様のからだを葬る許可をピラトに求めて与えられました。

彼らはこのことを通して自分たちの地位や仕事さえ失う可能性がありました。

しかし、彼らはそうしたかったのです。

人がキリストに仕える動機は彼らのように、罪責感や強制されてであるべきではありません。

キリストの愛に迫られて応答していくものです。

キリストの十字架、愛を思うのならば、どうして何もせずにいられるでしょうか。

今日は主の日(PALM Sunday)。共に主に礼拝を捧げましょう。

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