伝道者 1:1-3:22

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(3:11)

1節から8節まで、相反する「時」が繰り返されているように見えます。

「壊す時、やり直す時、泣く時、笑う時、悲しむ時、踊る時」(3,4節LB)

しかし、

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」

とあるように、ここでは二つの時を対立させているわけではなく、「神の時」の中で人生の現実がつながっていることに気づかせます。人は神の働きの全体を見ることはできません。泣く時も、笑う時も、実は、神の臨在はそこにあるということです。人生の様々な時、神はそこにおられ、すべてのことを美しくしてくださると。私たちが人生の中で体験する喜びも悲しみも、神の恵みの中では意味があります。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

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