「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(3:11)
1節から8節まで、相反する「時」が繰り返されているように見えます。
「壊す時、やり直す時、泣く時、笑う時、悲しむ時、踊る時」(3,4節LB)
しかし、
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
とあるように、ここでは二つの時を対立させているわけではなく、「神の時」の中で人生の現実がつながっていることに気づかせます。人は神の働きの全体を見ることはできません。泣く時も、笑う時も、実は、神の臨在はそこにあるということです。人生の様々な時、神はそこにおられ、すべてのことを美しくしてくださると。私たちが人生の中で体験する喜びも悲しみも、神の恵みの中では意味があります。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!