ヨブ記 18章

「悪者どもの光は消え、その火の炎も輝かない。」(5節)

ヨブの友人は、この世には因果応報があるから、災いがふりかかったのは、ヨブに何か問題があったからだと納得させようとします。これは、苦難の中にいる人に、何の慰めにもなりません。それは、自分の「因果応報」という人生哲学を守るために、苦難にあえぐ人をどん底に落としているだけです。自分の人生哲学を貫き通すことと、苦難の中に落ち込む人を慰めること、どちらが大事でしょうか。パリサイ人は前者を、キリストは後者を通しました。もちろん、真理を曲げたわけではありません。イエス様ならば友人たちのようにいろいろと説教をせずに、一緒に泣き、祈られたと思います。事実、今、イエス様はそうしているからです。

「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)

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