ルカ1:39-56

「主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」(1:48)

マリヤの言う

「どの時代の人々も、私をしあわせ者と思う」

という普遍的な「しあわせ」は存在するのでしょうか。マリヤは、天地万物を造られた創造主なる神が自分に目を留められたことがしあわせだと言います。

「私は偶然、今、ここにいるわけではない。目的をもって私を造られたお方がいて、そのお方が私のことを気にかけてくださっている。こんな小さな自分の存在価値を認めて、『わたしの目にはあなたは高価で貴い』と言ってくださる。」

この認識をもてた人がどの時代でも本物のしあわせ者だと言います。ですから、イエス・キリストを信じる者こそ本物のしあわせ者です。神は私たちを愛するがゆえに御子イエス・キリストを与えてくださいました。イエス様は私たちの罪のために十字架にかかり死に、葬られ、よみがえられました。

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