マラキ 3章

「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる。―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」(10節)

私たちは神の愛に応答して、何かを捧げたいと思います。しかし、どのぐらい神に捧げるのが適当でしょうか?神は私たちに、収入の十分の一をもって試すことを勧めます。(聖書の中で神は、献金だけ試すように言います。)神はつまり「いくら捧げたか」ではなく、「どのような心で捧げたか」をご覧になられていると言います。神の目は、金額ではなく心に向けられているからです。神は私たちのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注がれます。その祝福は自分個人だけにとどまるものではありません。自分が属している共同体全体にあふれます。

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