Ⅱ歴代誌 10章

「王は民の願いを聞き入れなかった。それは、かつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を主が実現するために、神がそうしむけられたからである。」(15節)

私たちは、レハブアム王はなんと愚かな事をしたのだろうと思います。しかし聖書は、実はこれは神がしむけられたことだったと言います。詳しくはⅠ列王記11:29-39に出てきます。つまり、問題の発端はソロモン王にあったということです。私たちは、見えるところですべてを判断する傾向があります。しかし、物事はそんなにも単純でない場合が多いと思います。その背後にある意味を見落としてはいけないと思います。「神がそうしむけられた」ということは、神が許可されたということです。神は私たちが神に立ち返るために、あえて、私たちが問題にあうことを許可されるということです。つまり、問題が問題ではなく、私たちがその問題をどうするかが問題です。「主よ、あなたに立ち返ります。」

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