Ⅰ歴代誌 16章

「ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終えてから、主の名によって民を祝福した。」(2節)

まず神に礼拝をささげてから、様々な働き、奉仕、ミニストリーがあります。この順序が狂ってしまうときに問題が起きてきます。そもそも、神に礼拝を捧げることなくして、人々を祝福することはできません。「すべての良いもの、完全なものは、光を造られた神様から来る」(ヤコブ1:17LB)からです。まず、神の国と神の義を第一に求める中で、私たちは祝福の基となれます。「祝福する」と訳されるギリシア語は、「良い」と「言葉」が組み合わされた単語です。「感謝する」とも訳されます。使徒パウロはクリスチャンの言葉に言及しています。

「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」(エペソ5:3,4)

 祝福のことばを語りましょう!

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