1コリント 16章

「主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。」(7節)

使徒パウロは、自分の宣教旅行計画をコリントの教会の人々に伝えるのですが、こう付け加えました。

「主がお許しになるなら。」

ヤコブの手紙の中にこういう箇所があります。

「明日どんなことが我が身に起こるか、どうして分かるでしょう。・・・ですから、こう言うべきです。『主がお許しくださるなら、私は、あのこと、このことをしよう。』」(4:14,15LB)

神の民として、私たちは未来に関してこのような柔軟な姿勢を持つ必要があります。自分の計画にこだわって、神の介入を受け止めることができないのは、寂しいことです。神様は私たちの人生を最善に導きたいと願っておられます。自分の願いに固執せず、柔軟に対応していく必要があります。ある牧師はこう言います。

「幸いなるかな、柔軟な人。その人は、折れることはない。」

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