創世記 48章

「それから、ヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。」(15節)

ヤコブは、ヨセフの子供たちを祝福する祈りの中で、

「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」

と神を呼び、祝福しました。詩篇23篇に、

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」

と記されています。ヤコブは体験からも、神が羊飼いであるならば、乏しいことはないということを知っていたので、そのように祈ったのだと思われます。イエス・キリストは言われました。

「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)

イエス様は、おっしゃられたように、私たちの罪のために十字架にかかり死んでくださいました。しかし、それだけではなく、イエス様は死を打ち破り、よみがえられました。今も生きておられます。私たちが願うならば、今も、イエス様は私たちの良い羊飼いとなって導いてくださいます。

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