マラキ書 3章

「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる。―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」(10節)

私たちは神の愛に応答して、何かを捧げたいと思います。しかし、どのぐらい神に捧げるのが適当なのでしょうか?神は私たちに、収入の十分の一をもって試すことを勧めます。(聖書の中で神は、献金のみ試すように言います。)神はつまり金額を見てないということです。私たちが「いくら捧げたか」ではなく、「どのような心で捧げたか」をご覧になられています。一万円もらった人が千円捧げるのと、千円のお小遣いをもらった人が、その中から百円捧げるのでは、その千円も百円も、神の目の前には同じ価値だと言うのです。なぜなら、神の目は、金額ではなく心に向けられているからです。

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