エゼキエル 15章

「人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。」(2節)
 
イスラエルの国はぶどうの木としてたとえられています。ぶどうの木自体は、リンゴの木のようなしっかりとした木ではないので、実を結ぶことがなければ、薪の木としての利用ぐらいしかできない木です。つまり、他の木より勝っている存在ではないと言うことです。キリストは、ヨハネ15章で、キリストがぶどうの木で、私たちは枝だと言いました。キリストにつながってさえいれば、いつか必ず実を結ぶことができると。しかし、キリストから離れてしまうなら、実を結ぶことができない、人生の意味を見失うと。私たちは他者と比較するのではなく、キリストとの関係に、心を注ぐ必要があります。使徒パウロが、

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)

と言ったのはそういうことだと思います。

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