イザヤ 57章

「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(15節)

LBでは後半部分をこう訳しています。

「わたしは謙そんな人を生き返らせ、悔い改めた人に新たな勇気を起こさせる。」

聖書の言う「謙そん」は自己卑下とは違います。自分をかわいそうに思うことではなく、自分は神が必要な存在であると認めることです。自分は有限な被造物であり、無限な創造者ではないと認めることです。神を神として認めることです。自分中心(自己実現)の人生から神中心(神実現)の人生に方向転換(悔い改め)する時に、神様は私たちに新たな勇気を起こされます。

「創造主なる神様、あなたが必要です。私を新しくしてください。」

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