イザヤ 56章

「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」(7節)

聖書の神は特定の人の神ではなく、すべての人の神です。神は言われます。

「わたしの祝福は、神を信じる外国人にも及ぶ。彼らは二の次にされるなどと考えてはならない。」(3節LB)

神の目には人種差別はありません。新約聖書にもこう書いてあります。

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28新共同訳)

今、キリスト教会は、「すべての民の祈りの家」です。キリストにあってあらゆる人が一つになって主を賛美し祈る姿こそ、教会があるべき姿だからです。この祈りの家で、神は私たちを楽しませてくださいます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です