哀歌 4:1-10

「高価であり、純金で値踏みされるシオンの子らが、ああ、土の壺、陶器師の手のわざと見なされている。」(4:2)

「シオンの子ら」がいかに高価かを、純金で計られるという比喩で表現しています。

本来は高価で尊いものとして特別に扱われるはずが、罪のゆえに、土の器のように雑に扱われていると嘆いています。

神は人を「神のかたち」に造られました。

神は「非常に良かった」(創1:31)と言われました。

しかし、人は神に背き、その罪のゆえに、「あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ」(創3:19)と言われてしまいます。

聖書は言います。

人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(2コリ3:16-18)

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