ヨハネ 21章

「こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。」(21:9)

中近東では、一緒に食事をするということは、新しい方法で、互いに属することを意味しました。

福音書をみると、イエス様がいろいろな人たちと一緒に食事をする場面がたくさん描かれていますが、そのような意味があります。

ユダヤ人たちは、メシアが来たら、そのような祝宴があると考えていました。

メシアが食卓に着き、イスラエルの民は共に食卓に着き、食事をする。

神の民として一つとなり、イスラエルの贖いを祝う。

最後の晩餐も、そのような意味がありました。

そして、この時、イエス様が弟子たちのために朝食を用意されていたのもそういう意味です。

十字架の暗い影は、新しい朝の光に変えられました。

そして、私たちも、この朝の食事の祝宴に招かれています。

イエス・キリストがよみがえられたからです。

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