「主は振り向いてペテロを見つめられた。」(22:61)
ペテロはイエス様に言いました。
「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(33節)
すべてのご存じのイエス様はペテロに言います。
「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」(34節)
ペテロはイエス様が言った通り、「私はその人を知らない」とイエス様の存在を否定し、鶏は鳴きました。
驚くことは、この時、イエス様が振り向いてペテロを見つめられたということです。
その眼差しはどんな眼差しだったのでしょうか。
責めるような眼差しだったとも思いませんし、がっかりした眼差しだったとも思えません。
もし、そうだったらペテロは立ち上がれなかったと思います。
それは、忘れられないほど、憐れみに満ちた眼差しだったのではないかと思います。
イエス様は今日も私たちを見つめられています。