「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。」(3:9,10)
この世界の終わりに、キリストは再び帰って来られます。
その日は、「盗人のように」とあるように、思いがけない時にやってきます。
明日、その日が来ても私は驚きません。
私たちは、サッカーで言うところのロスタイムに生きているからです。
いつ、終了の笛が吹かれてもおかしくない時代に生きているのです。
神が終了の笛を吹かれます。
イエス様が誕生されてから二〇〇〇年を経た今も、まだ、笛が吹かれていない理由は、神のあわれみです。
ひとりでも滅びることを望まない神は、すべての人が悔い改めることができるように、忍耐されていると言います。
しかし、その日は必ず来ます。