「というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。」(3:18)
「キリストの十字架の敵として歩んでいる」という表現は穏やかではありませんが次節にその意味するところを述べています。
「その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。」
十字架の道は、
「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(マルコ8:34)
という道です。
「十字架の敵」とは明らかに、自分の欲望を満たすことを第一にする生き方です。
21節で
「みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。」
とパウロが吐露したように、問題は十字架の敵として歩んでいる人が多いということです。
自分の思いを優先させるか、神のみこころを優先させるか問われています。