「私を弁護してください。主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを。」(1節)
「私を弁護してください」と訳された言葉は、本来は「裁き」を意味する言葉が使われています。ですから、口語訳ではこう訳しています。「主よ、わたしをさばいてください。」この姿勢は大事だと思います。私たちは「他の人をさばいてください」と祈ることがあるかもしれませんが「わたしをさばいてください」と祈ることはないと思います。聖書は他者を裁くことを厳しく戒めています。
「あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」(ルカ6:36,37)
指を差すと三本の指は自分に向いていることを心に留めたいと思います。自分を裁いていただく時、ただ神の恵みによって、今があることを認めざるを得ません。