リベカの憂鬱

ビブリオン(旧・婦人会)で創世記を一章ずつ味わっています。先週は27章、イサクがエサウを祝福しようとしていたにもかかわらずリベカの入れ知恵で弟のヤコブがその祝福の祈りをだまし取ってしまったというところでした。25章には「イサクはエサウを愛し、リベカはヤコブを愛した」とありますのでこれまでずっと親の偏愛が招いた悲劇だと私は考えていました。ところが、リベカは妊娠中おなかの中でぶつかり合う子どもたちに不安を覚え、神様の御心を求めに行ったことが記されています。そのとき神様は「兄が弟に仕える」と明確に語られたのです。とするならば、祝福の祈りもリベカの入れ知恵というよりは、神様の御心を知っているがゆえに自分の力でそれを実行しようとした、と考えた方が自然かもしれません。ただ本当はイサクもリベカもこの時こそ主の方法を求めて祈るべきだったのではないかと思うのです。エサウに命を狙われ逃げたヤコブ。悲しいことにその後ろ姿が、リベカの生涯で見る、ヤコブの最後の姿となってしまいました。    (小山晶子牧師婦人)

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