熱湯

自分でも自分がしていることが分からない。そんなことはありませんか。  先日、パスタを茹でるために大きな鍋でお湯を沸かしていました。せっかくなら火力の強い隣のコンロに移そうと思いほぼ沸騰した鍋の両側をしっかりもって持ち上げたその時、自分が素手で持ち上げたことに気付きました。あ、でもそんなに熱くないのね。そう思った次の瞬間、熱い!!ようやく熱さを感知した脳が指令を出し、すぐさま手を放したくなりましたが、まだ持った鍋は隣のコンロに到達していません。熱さに耐え、隣のコンロに鍋を置いたつもりだったのですが焦って安定した場所に置く前に手を放してしまい、あぶない!と思った時には鍋は絵に描いたようにコンロから落ち、熱湯が床一面に。スローモーションで見ているようでした。その瞬間夫が助けてくれたので熱湯をかぶらなくて済んだのですが、なぜ私は素手で熱いと分かっている鍋を移動させようとしたのか、いまだに謎です。「彼らは自分のしていることが分からないのです。」というイエス様のお言葉を思い出しました。(小山晶子牧師人)

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