ヨブ記 29章

「私は義をまとい、義は私をおおった。私の公義は上着であり、かぶり物であった。」(14節)

 ヨブという人物は本当に祝福されていた人物でした。地域社会においても彼は人々から敬意を受けていました。なぜならば彼は正義を行なう人だったからです。彼はどんな人に対しても正しい扱いをしました。まさに、

「わしのすることはみな正しく、嘘偽りがなかった。正義こそ、わたしの衣だったのだ。」(LB)

しかし、正しく生きているからといって病気をしないわけではありませんし、問題に巻き込まれないわけではありません。だからといって神を否定したからと言って問題が解決されるわけでもありません。私たちが求められていること、それは、苦しみの極みである十字架にかかられたイエス・キリストを見あげることです。義人イエスが十字架にかかられたのは、私たちの罪の贖い、そして神の国をもたらすという目的がありました。私たちの苦しみにも意味があります。

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