アモス書 5:1-27

「まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。『わたしを求めて生きよ。ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバにおもむくな。ギルガルは必ず捕え移され、ベテルは無に帰するからだ。』」(5:4,5)

ベテルもギルガルもベエル・シェバも、当時の偶像礼拝の中心地でした。イスラエルの人々は、まことの神を求めることよりも、目に見える偶像を参拝していました。問題は、偶像は人間が造りあげたものでしかないということです。しかし人は、その代替品に満足してしまい、生けるまことの神を求めることをしません。だから、神は言われます。

「私を求めよ、そして生きよ。」(協会共同訳)

私たちのすべての必要に本当の意味で唯一答えることができるのは、生ける神イエス・キリストだけです。人にはできないことも、神にはできます。ですから、私たちは、イエス・キリストを指し示していく必要があります。イエス・キリストを求めるならば、望みがあります。

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