「アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。」(14:20)
収入の十分の一を捧げる什一献金はモーセの十戒(律法)の前から行われていたことでした。つまり、収入の十分の一を捧げるという信仰の行動は、アブラムの信仰が求められているということです。それは、また、アブラムの祝福に生きることです。ですから、旧約聖書の最後の書、マラキ書にもこう記されています。
「十分の一の献げ物をすべて貯蔵庫に運び入れわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよ‐万軍の主は言われる。必ず、私はあなたがたのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。」(マラキ3:10聖書協会共同訳)
「必ず、祝福を限りなく注ぐ」という約束は、アブラムのように信じて、実践する信仰者に与えられた約束です。聖書で唯一「試してみよ」とチャレンジされている什一献金に挑戦するならば教会会計を潤すだけでなく、アブラハムの祝福を体験します。