ローマ 4:16-5:11

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。」(4:18)

「望みえない」と訳された言葉は、「希望」という単語の前に「παρα」という前置詞がついています。「παρα」という前置詞は、「反して」「反対に」という意味があります。ですから、「希望に反して」と訳せます。望めないどころか、反対されていると考えることができます。さらにこの前置詞は、「超えて」(beyond)という意味があります。「希望を超えて」と訳せます。つまり、アブラハムが、「自らの力で望み続けた」というレベルを超えたところでの、「希望」という意味だと考えられます。LBは、こんな訳をしています。

「そんな約束はとうてい実現するとは思えなかったにもかかわらず、神を信じました。」

状況に絶望し、他者に絶望し、自分にも絶望し、さらに、神にさえも絶望してしまったその先にある「希望を超えた希望に」、「神の契約の家族として数え入れられる信仰」の世界があります。

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