マタイ26:47-68

「しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」(56節)

小河陽氏はこのように解説しています。

「イエスの使命は、究極的な義の確立としての神支配の樹立であり、受難と死は、この神の救いの計画を完成するために避けることのできない手段であった。(中略)彼の死は敗北の死ではなく、ユダヤ教祭儀の終焉をもたらし、全地を揺り動かし、聖徒に永遠の生命を得させるこの世の終わり、神の新しい始まりである。」

イエス・キリストの受難は旧約聖書が指し示したことの実現でした。神支配、神の御国がこの地に樹立するためには、イエス・キリストの受難、十字架の死と復活は避けることはできませんでした。

「今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(64節)

とイエス様がおっしゃられたのはそういう意味です。

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