2ペテロ 3章

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。」(9,10節)

「主の日は盗人のように」とは、その日は、思いがけない時にやってくるということです。つまり、私たちはサッカーで言うロスタイムに生きています。いつ、終了の笛が吹かれてもおかしくない時代に生きているのです。神だけがいつ終了の笛を吹くか、決めることができます。イエス様が誕生されてから、二〇〇〇年を経た今も、まだ、笛が吹かれていない理由は、神のあわれみです。ひとりでも滅びることを望まない神は、すべての人が悔い改めることができるように、忍耐されているのです。しかし、その日は必ず来ます。

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